葛飾北斎

北斎漫画

久しぶりの外出で六本木のミッドタウンで食事をし、そのまままっすぐ帰ろうと思っていたのですが、大江戸線の改札口に向かう途中に「北斎づくし」展の看板が目に入りました。感染予防のために最近はめったに外出してないので、この機会についでに見ていこうと思い立ち、ミッドタウンホールに入ってみました。

マンガやアニメという言葉は、日本に来る若い外国人にとってはとても親しみのある言葉のようです。そういえば、ロンドンの地下鉄でどこから見てもイギリス人の少年が、日本の漫画、しかも日本語の吹き出ししかついていないのを読み進めているのを見て驚いたことがありましたっけ。

実は、今日もJICA(国際協力機構)の奨学金で来日している留学生のネットワーキングセミナーが(本来だと日本各地から東京に実際に集合するらしいのですが)、オンラインでありました。130名くらいの留学生に「日本で一番好きなものは?」と聞いてみたのですが、「文化」「風景」「寿司」などと並んで「マンガ」「アニメ」「スタジオジブリ」なども上がっていました。

そして『マンガ』の原点が江戸時代に北斎がシリーズ物で出版した(もちろん木版刷りです)、「北斎漫画=漫(そぞろ)に描いた画」のシリーズなのです。第一巻(初編)は1814(文化11)年、葛飾北斎(1760-1849)が55歳の時に出版されたもので、今のマンガのような吹き出しはなく、一種のデッサン集です。一つのページに様々な衣装やポーズをした人物画が7-8図描かれているのですが、一つ一つになんとなく「おかしみ」が感じられるところがミソですね。

売れ行きが良いので、第二巻、三巻と出版が続き、1819(文政2)年第十巻でいったん打ち止め「大尾」と宣言したものの、まだまだ売れるともくろんだ版元からさらに十二巻まで発行が続き、死後も書き残したデッサンを使って出版、最後の第十五巻はなんと北斎の死後30年近く経ってから1878(明治11)年に発行されるという人気ぶりです。この北斎漫画の中にあるデッサン(合計約3600図)は、その後の北斎の様々な浮世絵の中に活用されています。

富士山大好き

やはりJICAの留学生の「日本で好きなもの」リストの中には「富士山」も上がってきます。最近は日本人より外国人の方が富士山好きが多いように思いますが、江戸時代高層ビルのない江戸の町からは少し高台に登れば富士山が見えたので、江戸っ子には富士山はお気に入りの風景だったのでしょう。そんなわけで、江戸っ子北斎もこれでもかというくらい富士山の登場する風景を書いています。それが「富嶽三十六景」(これも売れ行きが良かったので実際には46枚)、「富嶽百景」という連作浮世絵を作成するのですが、このベストセラーシリーズを描き始めたのが北斎が72歳になった頃(1831-33:天保2-4年)だというのですから、恐れ入ります。

外国人にお土産を買っていく時によく使う「神奈川沖浪裏」(大波に翻弄される小舟)や「凱風快晴」(いわゆる赤富士)も三十六景シリーズの中の一枚です。今回は両シリーズのすべての絵(百景シリーズは全102図)を見ることができたのですが、有名でない作品にも面白み溢れるものがあることを知りました。

桶屋さんが大きな桶(まだ底がない)を立てて内側で作業をしており、その円の向こうに富士山が見える「尾州不二見が原」(三十六景)や、やはり桶屋さんが風呂桶の上に乗って桶づくりをしているその股の間から富士山が見える「跨ぎ不二」(百景)は、シンプルですが楽しい作品です。また、材木屋の並ぶ本所の水路の賑わいを描きながら、遠くに江戸湾に浮かぶ帆立船が見え、林立する材木の間から富士山がのぞく「本所立川」(三十六景)などは、今では絶対に見ることが出来ない(あんまりたくさんビルが立ち並んでいるので)風景でしょう。そしてこの絵の中で、整然と並んでいる材木に、三十六景シリーズの宣伝と浮世絵の版元の名が書き込んである、なんてお茶目ですね。

ベロ藍

今回初めて知ったのですが、荒れ狂う波をダイナミックに描いた「神奈川沖浪裏」をはじめとする海の色には日本の伝統的な染料ではなく、18世紀にヨーロッパで発明された化学顔料である「ベロ藍」が使われているのだそうです。ベロ藍は当時のプロイセンの首都ベルリンで1713年ごろに発明され、それが18世紀半ばに日本にやって来ていたのですね。これはオランダ東インド会社の仕事でしょう。「ベルリンの藍」でベロ藍。ヨーロッパなんて行ったことがない江戸の浮世絵師たちが輸入顔料を使っていたなんて、意外ですね。ただ、もともとのベロ藍(正式名称はプルシアン・ブルー=プロイセンの青)は高価だったので、1820年代に中国製が輸入されるようになってようやく本格的に普及したそうです(樋口一貴「ベロ藍革命を起こした北斎」AERA Mook 『北斎づくし完全ガイド』2021 p.58)。北斎が富嶽三十六景を描き始めるのはこの時期です。

浮世絵は版画なので一枚一枚刷り師が色を重ねていくわけですが、この紙が楮(こうぞ)使った和紙で、面白いのはこの和紙とベロ藍の相性がとても良いのだそうです。天才絵師・北斎の愛したブルー「ベロ藍」|【北斎今昔】もっと知りたい、浮世絵の「今」と「むかし」 (adachi-hanga.com)

江戸時代の浮世絵が、19世紀のヨーロッパの印象派をはじめとする人々に大きな影響を与えた「ジャポニズム」現象は有名ですが、北斎漫画がその発端だという説もあるそうです。さらに、北斎漫画は日本から送る陶器(有田焼などですね)が船の中で破損しないように間に挟む緩衝材として使われていたという説まであるそうです(前掲『北斎づくし』p.34)。まあ、当時の日本には新聞紙なんてないわけですから、ある程度の厚みがある紙の束として北斎漫画の冊子はおあつらえ向きだったかもしれませんね。いずれにせよ、これがきっかけで浮世絵がヨーロッパの人々の知るところとなったわけです。恐るべしオランダ東インド会社。

【2021/9/8 近代日本】

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