ラマダン休戦

ラマダン月が始まりました

イスラム世界では、4月2日から断食月(ラマダン・イスラム歴9月)が始まりました。イスラム歴は太陰暦ですので、毎年ラマダンの時期は太陽暦に読み替えると11日ずつ前にズレていきます。日の出から日没まで一切の飲食をしないので、かなりの苦行です。と同時に、イスラム教徒にとっては「聖なる月」でもあるので、ラマダンに入ったら人々はお互いに「ラマダン・カリーム(ラマダン月おめでとう)」という挨拶を交わします。

国連事務総長特使

 内戦状態のイエメンでは、国連事務総長が特使を任命して対立する各派の調停活動をしています(2021/9/23 イエメンはどこに行く19 参照)。最初に任命されたのは、イエメンの民主主義への「移行過程(GCCイニシアチブ)」が平和裏に始まった2012年で、初代特使はモロッコ生まれのジャマル・ベノマール(Jamal Benomar)氏でした。彼の主たる仕事はGCC合意に基づいた「移行過程」の推進を支援することで、特に力を祖沿いだのは反政府勢力を含めたイエメン各派の総参加による「国民対話」の開始と進行でした。GCC諸国と国連の全面支援を受けた国民対話の間は、各派の間の武力紛争が起こることもなく、平和裡に新たな民主的イエメンの建設に向けた話し合いが続けられたのでした。しかし、2012年2月に国民対話が完了し、「6地域連邦案」が発表された後から移行プロセスの進行は遅延し始めます。そして、2014年9月にホーシー派は首都サナアに武力をもって無血入城し、ハーディー政権に圧力をかけ始めます。国連とGCC諸国は、こうした動きに対抗してホーシー派の幹部とサーレハ元大統領に対する国連制裁を働きかけます。この結果ベノマール特使はホーシー派からの信頼を失い、移行過程は完全に中断。2015年3月のサウジ空爆開始をきっかけに辞任することになります。

 二代目特使はモーリタニア出身のイスマイル・シェイク・アハマド(2018年2月まで)氏で、内戦状態の解消を目指してジュネーブ和平交渉(2015年6月、12月いずれも失敗)、クウェート和平交渉(2016年4月)を試みましたが、ホーシー派のサナアからの無条件徹底を求める国連安保理決議をホーシー派が認めるわけもなく、停戦交渉は頓挫しました。

 三代目特使はイギリス人のマーティン・グリフィス(2021年7月まで)氏で、スウェーデン政府と共に2018年12月のホデイダ停戦を実現させた実績がありますが、それ以降は和平交渉は全く進展せず、戦線は膠着。2021年に入るとホーシー派によるマーリブ攻撃が激化する一方でした。

 そして2021年8月にグリフィス氏が国連本部の人道支援責任者に就任するに伴って、後任の第四代特使としてスウェーデン人のハンス・グルンドバーグ(Hans Grundberg 前EUイエメン大使)が任命されました。

特使事務所

 特使と言うと、1人で飛び回っているイメージですが、これだけ紛争が長期化する状況に合わせて、しっかり事務所とスタッフを構えて国連の組織としてすることになります。とはいえ、内戦下のイエメンには事務所を置くことが出来ないので、少し離れたヨルダンの首都アンマンにOFFICE OF THE SPECIAL ENVOY OF THE SECRETARY-GENERAL FOR YEMEN(略称Ossesgy)を設置しています。実は、ここには私の友人の日本人も幹部スタッフとして働いています。

 そして、3月からアンマンの特使事務所に、イエメンの各政治勢力を個別に招いた調停活動を開始していたのですが、ラマダン開始直前の4月1日にグルンドバーグ特使が「二か月間の休戦」を発表したのです。

 その発表によれば、4月2日の午後7時をもって関係者はすべての戦闘行為を中断するとのこと。イスラム歴では、日没とともに日付が変わるので、4月2日の午後7時というのはすなわち、ラマダン月の開始とほぼ同時ということです。

 戦闘はイエメン国内のみならず、越境攻撃も含むということなのでアラブ有志軍の空爆も、ホーシー派によるサウジやUAEへのドローン攻撃も中断するということになります。

 また、ホデイダ港への燃料輸入船の入港や、サナア空港を使用した航空機の発着もできるようになるということも含まれていました。これは、ホーシー派が要求した項目です。アラブ有志軍によるホーシー派支配地域(イエメン山岳部)の「兵糧攻め」を緩和するということになります。

 さらに、タイズに至る道路の封鎖解除も含まれています。これはハーディー政権側の要求項目でしょう。タイズはホーシー派勢力に囲まれて外部との交通ができない状態だったと考えられます。

二か月の勝負

 グルンドバーグ特使も、この報告を受けたグテーレス国連事務総長もこのラマダン休戦を歓迎し、併せて「この休戦の間に、さらなる和平へのステップを踏み出すことを期待」すると言っています。

 「アラブの春」でサーレハ長期政権への民衆のデモが始まって(2011年2月)から11年、「国民対話」の成果が発表され(2014年2月)新憲法づくりが始まってから8年、アラブ有志軍の空爆開始(2015年3月)によって内戦状態になってから7年。

 この間、イエメン国民は日常生活を奪われ、子どもたちは学校に行く機会を奪われ、人々は食料確保を国際社会の人道支援に依存する度合いを強め、空爆による保健施設の破壊などで医療サービスが崩壊する中、コレラ、ジフテリアが流行し、とどめにコロナまでやってきました。

 もう十分でしょう。とにかく戦闘行為が「休止」から「停止」に至るために、すべての関係者の努力が実ることを期待しています。

(2022/4/4 イエメンはどこに行く 20)

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