イエメン備忘録(イエメンはどこに行く・15)

アラブの春から10年

今年2021年は、東日本大震災から10年の年です。ということは「アラブの春」から10年、ということでもあります。

2020年末に、チュニジアの露天商の若者が焼身自殺をしたことに端を発してアラブ世界に燃え広がった「独裁政治への異議申し立て」「民主化要求」で、チュニジアのベン・アリ大統領が国外逃亡したのが2021年1月14日、それがエジプトに飛び火してムバラク大統領が失脚したのが2月11日。この熱気はイエメンにも燃え移り、首都サナアのみならず各地でサーレハ政権に対する反政府デモが大規模化し、政府側との衝突で多数の死傷者が出たのが2月18日。この日を若者たちは「始まりの金曜日」と名付け、それ以降金曜日ごとに大衆活動が大規模化していきました。

結局、サーレハ大統領は33年にわたる長期政権を2011年11月にハーディー副大統領に委譲するのですが、それで一件落着というわけにはいかず、国内の様々な勢力間の調整プロセスが最終的に失敗し、2015年1月にはイスラム教の一勢力であるホーシー派が首都サナアを占拠するに至ります。

サウジの空爆開始から6年

ホーシー派によってサナアから追い出されたハーディー暫定大統領は、巻き返しのためにサウジアラビアなどに応援を頼み、これを受けてサウジがサナア空爆を開始したのが2015年3月26日。以来、イエメンは内戦状態に陥り、国連諸機関が「世界最悪の人道危機」と呼ぶ状態が6年以上にわたって続いています。この間の事情については、いろいろなところに書いていますが、例えば『世界』2019年3月号の拙稿「イエメン国民への愚弄をやめよ」をご参照ください。

そんな状況下でも、人々は生き抜いていかなければなりません。ホーシー派支配地域と、ハーディー政権支配地域に二分されたまま、国連をはじめとする世界の人道支援団体は両方の地域で困窮する人々を対象に必死の支援作業を続けています。日本政府は、大使館もJICA事務所も国外退避してしまっているので、直接的な支援はできませんが国連機関やNGO経由で資金援助をしています。また、国際NGO「国境なき医師団(MSF)」はイエメン各地で病院を拠点とする活動を継続しており、日本人スタッフもかわるがわる駐在して活動しています(2020年11月27日にMSFが主催するウェビナー「人道コングレス」が開催され、私もお話しする機会を得ました)。(106) Session 3: イエメンの人道状況、閉会挨拶 The Humanitarian situation in Yemen and Closing remarks – YouTube

イエメン人道支援レポート

国連には様々な専門機関がありますが、その一つにOCHA(UN Office for the Coordination of Humanitarian Affairs: 国連人道問題調整官事務所)があり、現在定期的に「イエメン人道ダイジェスト」(Yemen Weekly Humanitarian Digest)を発行してインターネット配信しています。その中から、いくつかをかいつまんで紹介するのも、意味があるかもしれません。

日本にいると、イエメンについての情報はほとんど入ってきません。そして情報がなければ人々はその国の存在も忘れてしまいがちです。イエメン研究者の端くれとして、日本人に「イエメン」という国の存在、そしてたった今直面している苦難について、せめて情報提供だけでもしておきたいと思います。

考えてみると、2011年に書いていたブログ「イエメンはどこに行く」は2011年10月15日(第14回・イエメンはおもちゃじゃないはず)が最後になっていました。なので、10年越しにこのブログを再開するということになります。

【2021/8/31 イエメン】

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