【ブライトン特急・34】《Industrial》

 産業革命と労働争議、共通点はなんでしょう。そうです、どちらもIndustrialがつくのです。Industrial Actionはイギリス英語で「労働者の経営者への示威行動(ストライキなど)」という意味です。かたや、Industrial Revolutionは18世紀(1760年代から1830年代までと期間を特定することもありますが)にイギリスを起点として始まった 人類史の一大転機であり、イギリス人は産業革命の発祥地であることを誇りに思っているのです。

        産業革命に先立つ小規模な「工業化」はこの時期に他のヨーロッパ諸国でも日本でも進行していたわけですが、イギリスが決定的に抜きんでることが出来たのは、一連の工業的な発明とともに、海軍力を背景に「沈むことのない帝国」として多くの植民地を持ってたこと、本国内の農村部から労働者を大量に調達することが容易であったことによると思います。その労働者がIndustrial 階級を形成したのです。

         日本語では産業と労働は同一のカテゴリーの言葉ではありませんが、そもそも英語の「労働者」は工場制工業の始まりとともに発生した新たな階級であり、その意味で工業(Industry)と工場労働者(Industrial)は同根なのですね。農作業に従事する人たちはこの「労働者」のカテゴリーには含まれないのです。また、その後の工業化の進展に伴って発生したすべての労働者もこのカテゴリーに含まれるようになり、炭鉱労働者、交通機関の労働者のストなどもIndustrial Actionと呼ばれるようになりました。ただ、教員、消防士など公的部門の労働者のストはこうは呼ばれないようです。このあたりの区別はなかなか興味深いものがありますね。

         産業革命の主要舞台である工業都市マンチェスターまでは、ロンドンらバージン特急(バージン航空系列の会社です)で2時間少々です。イングランドの中央部から北部に抜けるこの線路沿いにも、やはり延々と牧地が広がっているのですが、日本の風景と最も違うのは、ほとんど民家が見えないことです。つまり、農村部に住んでいる人が極端に少ないのです。これも、産業革命と相前後して起きた農地の集約化、囲い込み(enclosure)によるものなのでしょう。田舎に仕事がなくなった人々は、都市に押し出されたのです。

         マンチェスターには「科学・産業博物館(MOSI)」があります。この博物館の中心テーマはもちろん「産業革命」。本館には1764年発明の「ジェニー紡績機」、1769年発明の「水力紡績機」のモデルがあり産業革命の開始を誇っています。動力館には畜力→水力→蒸気機関という発展過程がワットの蒸気機関(1785年)の実物モデルなども交えて展示され、動力革命をおさらいできます。駅舎館は1830年開業の世界最初の旅客蒸気機関鉄道であるリバプール・マンチェスター鉄道のマンチェスター駅を利用しています。

         これらの展示はいずれも良くできていますが、開発研究を志す者にとって興味深いのは、この駅舎館一階の「The Making of Manchester」と、地下の「Underground Manchester」という展示でした。いずれも産業革命勃興期のマンチェスターという近代都市が、どのように不衛生で不健康で、多くの人々が貧困と疾病に苦しんでいたのか、それに対して「心ある人々」や「公的機関」がどのような対応策をとったのか、が示されていました。そうです、今日の途上国のスラム対策の原点はすべてここにあるのです。

         周辺農村地帯から押し出された人々は都市に流入しましたが、住宅は狭くてトイレなどの施設も整っておらず、教育制度もなく児童労働も普通だったのです。産業革命は大規模な工業製品の生産と販売で巨大な富を蓄積する「資本家階級(Capitalist Class)」を生む一方で、不安定な労働条件、劣悪な居住条件に苦しむ膨大な数の「労働者階級(Industrial Class)」を生み出したのです。このような社会変化を見て、様々な社会改革家が私財をなげうって救済を試みます。NGOの誕生ですね。

         スコットランドの工場主でありながら、児童労働の禁止を訴え、幼児教育のための施設を工場内に設けたロバート・オウエン(1771-1858)などの動きはこうした一連の社会改革実験の中に位置づけられます。ドイツからマンチェスターに来たエンゲルス(1820-1895)はこの町に蔓延する貧困層の実態調査を通じて社会主義的な改革の道筋を思索します。

         他方、公共部門も伝染病対策をきっけかに、都市生活者の生活環境改善に着手します。18世紀の末には衛生状態の見回りに警察が関与する制度が整い(日本でも最初の衛生行政は衛生警察から始まっています)、1832年のマンチェスターでのコレラ蔓延を受けて、市当局が下水道整備に乗り出しました。公衆衛生という概念もこの頃生まれたものですね。健康が個人の問題ではなく、社会の問題となるのも産業革命に付随した変化です。

         いずれにせよ、労働者階級の成立、中流(資本家)階級の勃興、それに旧来からの地主貴族階級という現代に続く三階級構造が確立したのはこの頃です。資本家と労働者階級の誕生が表裏一体であること、工業社会の繁栄と貧困層の困窮もやはり一体であることは、21世紀になってもまったく変わっていないのです。【2100/6/23】

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