【ブライトン特急・35】《Jacket Potato》

  この一年間に食べたイギリス料理で一番おいしかったものは、と聞かれたらたぶん私はオックスフォードで食べたジャケット・ポテト(Jacket Potato)と答えるでしょう。この場合のオックスフォードは「目黒のサンマ」の目黒みたいなものであんまり意味はありません。サツマイモのように甘みのあるほくほくのジャガイモに、ゆで豆(beans)とベーコンの取り合わせがなかなかおいしかったのです。

         イギリス英語とアメリカ英語では表現が違うものがしばしばありますが、このジャケット・ポテトもその例で、米語ではベイクド・ポテトと呼ばれるものです。丸ごとのジャガイモを皮付きのまま上から十字にナイフを入れ、そのままオーブンなどで焼くだけの料理です。ジャガイモの皮を上着に見立てているのですね。なかなか楽しいネーミングです。日本料理でも里芋を皮付きのまま煮た料理を「衣かつぎ」というのと共通したセンスですね。

         さて、イギリスの料理の「おいしくなさ」はかなり有名です。定番「フィッシュアンドチップス(Fish & Chips)」は、鱈(Cod)などの白身魚の骨を取り、衣をつけて揚げたもので、これにいわゆるフライドポテトがどっさり付いてきます。ビネガーなどをかけたりすると、最初の三口くらいはおいしいのですが、単調な味なので飽きてしまいます。ローストビーフはそれなりのレストランに行くとそれなりの味ですが、ホースラディッシュなどをあしらったとしても、やはり単調さは覆い隠せません。コーンウォール地方の肉詰めパイ(Cornish)、スコットランドの羊の内臓詰め料理(Haggis)などもそれぞれに面白いですが、深みがないように思われます。

         もちろん、食べ物の好みなどは子供の時からの習慣で形成されるので、日本人の舌にあわないからと言って「まずい」と決めつけるわけにはいきません。また、まずかろうが何だろうが、普及するものは普及するのです。その典型例が「英国式朝食」(English Breakfast)でしょう。

         イギリスのホテルで朝食付きのところでは、まずこれです。日本人の感覚では「ぱさぱさ」で薄っぺらいトーストにバターとジャム。皿の上にはベーコン、ソーセージ、大きなマッシュルームにゆで豆、場合によってはグリーンピース、そして卵二つ(これは好みによって目玉焼きにしたり、ゆでたり、スクランブルにしたりしてくれることもあります)。これに紅茶かコーヒーのチョイスです。どこでもほぼ同じものが出てくるという意味では安心です。

         私はこれまで旧英領植民地(南アジアやシンガポール・マレーシアなど)に出張したことが何度かあり、そこでイングリッシュ・ブレックファストを食べて「おいしくない」と思ったことは多々ありました。しかしそれは、途上国の安ホテルだからだ、と思っていたのです。ところが、イギリスと東アフリカに続けて出張に行ったとき、これまで気づかなかった秘密に気づいたのです。

         ロンドンではラッセルスクエア近くのインペリアルホテルに泊まりました。かつては一流だったけど、時代の流れとともにがたが来て中流ホテルに格下げされたようなホテルです。朝食は大きな宴会場(Ball room)のようなところで、他の客とともに上に述べたようにイングリッシュ・ブレックファストを食べました。

        さて、その一週間後にウガンダに行き、町一番のホテルで朝食を食べました。そのとき、皿の上にあるものが先週ロンドンで食べたのと、ほとんどまそっくりだということに気づいたのです。その類似性は見事なほど正確でした。おいしくなさ、までも。

         私はこのとき、植民地の遺産の根強さに驚愕しました。故国を遠く離れた植民者が異国で目覚めた朝、自分がイギリス人であることを再確認するためには、このメニューでなければならなかったのです。20世紀後半にアメリカ人が世界中に旅行に出かけるようになるのと同時に、彼らの旅先での食事をまかなうためにハンバーガーチェーンが広がりましたが、すでにそれより200年以上前から、「イングリッシュ・ブレックファスト」は世界に広まっていたのですね。

         この料理の特徴は、現地の食材に依存しなくて良いことだと思います。小麦粉はイギリスから運べます、ベーコン、ソーセージはいずれも保存食です。マッシュルームも乾燥して運べます。豆は味をつけて缶詰に出来ます。コーヒー・紅茶の産地でないところにも簡単に持って行けます。つまり、どこにいても「お袋の味」が食べられることで、イギリス人植民者は毎朝元気になったのでしょう。イングリッシュ・ブレックファストは、ただの「おいしくない朝食」ではなかったのです。【2011/6/24】 

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