【イエメンはどこに行く・14】《イエメンはおもちゃじゃないはず》

     この半月ばかりのイエメンを巡る展開は、一言で言うと「いやな感じ」です。それは、西側メディアやそれを鵜呑みにした日本の一部メディアの主張するような、「サレハがサウジから帰国して、居座りはじめたから問題解決が遠のいた」という意味ではありません。

     サレハ大統領は、西側メディアの期待を裏切って革命49周年(9月26日革命記念日)の直前に治療療養中であったサウジから帰国しました。サレハの帰国は多くの解説者にとっては失望とともに受け止められましたが、私はサレハが瀕死の重傷を負った6月のモスク爆破事件以来「サレハは一度サナアに帰るべき」と申し上げてきました。それが最も望ましいシナリオだと思っていたからです。

     なぜなら、どれほど民衆の支持が失われつつあるとはいえ、未だに「誰の仕業だったのか」が不問に付されているようないわばテロ行為で、曲がりなりにも選挙で選ばれた大統領が政治舞台から退場するなどとということは、尋常ではありません。そんな退場の仕方では次の政権の正統性も担保されません。それ故イエメン政治の平和的な推移のためにはサレハ自身が大統領として「辞任する」と宣言する手続きが必要だと私は思います。

     実際、帰国後のサレハは10月6日に「数日以内に辞任する」と演説しましたが、ほとんどのメディアは「どうせまた先延ばしするためのリップサービスに過ぎない」という反サレハ派のコメントと合わせて報道しています。そのコメントの中には、10月7日にイエメン人で初めてノーベル賞(平和賞)を受賞したタワックル・カルマン女史も含まれています。そして、彼女を説明するためにメディアの用いる形容詞は「民主化運動家」という言葉です。

     また、9月30日にアメリカの無人攻撃機がイエメンの内陸部で「アラビア半島のアルカーイダ」の指導者の一人、アンワル・アウラキ氏の殺害に成功しました。これで、アメリカ人は日々の「テロの脅威」におびえる度合いを軽減することが出来ると胸をなで下ろしているようです。この意味でこの作戦は大成功です。こうした無人機によるイエメン領内侵攻は、これが初めてではありません。9.11以降何度か行われていて、その都度巻き添えになって標的以外の人が死亡する例も少なくありません。しかし、こうした事件は西側ではほとんど報道されません。それはサレハ政権がこうしたアメリカの「侵入」を黙認する代わりに、アメリカもサレハに軍事援助を提供するという「暗黙の合意」があったからです。しかし、もしサレハが退陣したら、この関係はどうなるのでしょうか。アメリカはさらに好き放題に標的を仕留めていくのでしょうか。

     私は、サレハ自身リップサービスではなく、「自分が辞任することが最も望ましいシナリオである」ということは十分に認識していると思います。こう言うと、サレハこれまでに何度もGCC諸国の調停案を妥結寸前で反故にしてきたではないか、本心は政権執着ではないか、という反論があるでしょう。しかし私はそうは思いません。イエメンの政治・社会はこれまで一度たりとも「独裁」を許すような環境であったことはないのです。それは、サレハ自身が最もよく知っています。サレハが独裁政権であるというのは西側メディアのラベリングに過ぎません。軍事政権ではあります。また大統領にすべての権限が集中しています。政治犯の扱いも問題があります。しかしそれは直ちに、サダム・フセインのような、あるいはカダフィのような独裁とイコールではないのです。

     一頃はサレハも息子アハマドに禅譲する気になっていたと思いますが、アハマドにサレハのこれまでやってきた「バランス政治=蛇の頭の上で踊ること」が出来ないことは明らかです。かといって、父でさえなしえなかった「独裁政治」を「アラブの春」後のイエメンで行うことは、アハマドがどれほどの権力を握ったとしても不可能です。

     だとすれば、今外部者が出来ることはサレハの辞任発言を「どうせ嘘」と切り捨てることではなく、辞任が実現するような環境を整えることではないでしょうか。私には、国内でさほどの知名度も影響力もない「西欧のお気に入り」活動家にノーベル賞を与えることでサレハに圧力を加えたり、国軍の戦闘能力の崩落を良いことに勝手気ままに越境攻撃を行って「気に入らないイエメン人」の排除をすることは、そうした環境を整えることとは逆の方向の営為だと思います。

        「このままではイエメンは破綻国家になる」という予言をする人々が、「そうならないために」という口実で反政府勢力にえこひいき的な支援を与えたり、「欧米にとっての」テロ勢力をイエメン国内の事情を飛び越して制圧することこそが、本当に「破綻国家」に追いやることになるのです。その誰も望まないシナリオがこのままでは動き出してしまいそうです。これが、いやな感じ、なのです。私が今、望みを託しているのは、きちんとした中東理解を持った日本の中東担当ジャーナリストの皆さんです。がんばれ、日本のジャーナリスト。

【2011/10/15 佐藤寛】

Follow me!