【もし今漱石がロンドンにいたら・14】《人種》

         漱石がロンドン留学時に、どのくらい「人種差別」の不愉快を感じたかはわかりません。しかし1900年にイギリスに暮らす日本人はまだまだ少なく、大方のイギリス人にとって東洋の外れから来た日本人は「英国植民地からの留学生」と大差ない扱いであったことは容易に想像できます。もっとも、英領植民地からの留学生はイギリスの国費で賄われるのに対して日本人は自らのお金をはたいてやって来ている、という違いはありますが。
 
         しかしながら、漱石の留学時代にはすでに「東洋人(ヨーロッパから見た場合の極東人)」を「黄色人種」であるが故に差別、敵視する「黃禍論(yellow peril)」が大陸ヨーロッパには発生していました。これは、黄色人種の台頭は白色人種にとっての災禍となるであろうという人種差別的感情論であり、日本が国際舞台に登場した日清戦争(1994年)に際して、ドイツ皇帝ウィルヘルム二世が唱え始めたと言われています。同時期に、アメリカ西海岸では日本や中国からの移民流入によってヨーロッパからの白人系移民の雇用が奪われるという危機感も高まっていました。

         そして、当時の黃禍論者たちの論調を見ると、今日のヨーロッパにおけるイスラム教徒への警戒心、敵対心とうり二つであることに気づきます。そして、こうしたイスラム教徒に対する恐怖感を、黃禍論を忘れた今日の日本人が西洋メディアに影響されて西洋人と共有しているとすれば、それは二重に情けない事態ですね。

         ところで、アメリカにいるアフリカ系の人々(黒人)については当時すでにアメリカの奴隷禁止法が成立(1865年、明治維新の直前です)していたとはいえ、まだまだ世界的に黒人に対する差別的な取り扱いは常識でした(唯一の黒人独立国家はエチオピアで、それ以外はすべて西欧の植民地でした)。アメリカで公民権運動が盛り上がるのはそれから100年後の1960年代です、日本人がアフリカ系アメリカ人の差別問題に多少関心を持ち始めたのもこの頃でしょう。20世紀初頭の黃禍論の時代も、日本人は自らの人種差別をどうはねのけるかに一生懸命で、同様に差別されている人々との連帯という意識はほとんどなかったのだと思います。

         南アフリカのアパルトヘイト政策のもとで日本人が「名誉白人」の扱いを受けるようになったのは1961年からですが、これも日本の経済力が認められた結果として日本国内ではおおむね喜んで受け入れられていたようです。こうした「差別する側」に回ることによる特権獲得は、差別の追認と固定化に寄与してしまうことは、あまり考慮されていなかったのですね。西洋中心の価値観の変更を目指すのではなく、西洋人の作り上げた価値観の中で、自らの存在を認めてもらうために「西洋に追いつく」ことを目指してきた日本人の明治以来の性癖がいかに根強いかを示すエピソードではあります。

         ところで、今日のロンドンにあって漱石の時代になかったものの一つに「ジャスグラブ」があります。ジャズはちょうど漱石が日本で小説を発表し始めた20世紀初め頃に、アメリカ南部のニューオリンズで生まれたものだからです。アフリカ系の人々の民族音楽と、西洋音楽の楽器とが組み合わされた新たなジャンルの音楽ですが、その意味でこれは黒人と白人の融合芸術といえます。日本にジャズが紹介されたのは大正時代に入ってから当時の貿易港であった横浜、神戸あたりからだったので、漱石はジャズを聴いたことはなかったかもしれませんね。

         私はイギリス滞在の最後の週に、ロンドンのソーホーにある「ロニー・スコッツ」というジャズクラブに行きました。その日は日本人である上原ひろみさんのステージがありました。上原さんは新進気鋭のジャズ・ピアニストで拠点はアメリカですが、もともと日本に生まれ育ち、ヤマハの音楽教室育ちだということです。ヤマハの音楽教室は、高度経済成長期の日本で、オルガンとピアノを武器に日本の中流家庭に西洋音楽を普及したユニークなマーケティング手法ですが、そこから数多くの音楽家を発見、育成してきたことは、評価されるべきだと思います。

         さて、ロニースコッツでのステージはドラムとベースのおじさん二人を率いて、上原さんのピアノが冒頭からフルスイングしていました。確かに天才。とても楽しいステージでした。もともと白人と黒人の融合芸術であるジャズに、日本人の若い女性が活躍する・・漱石はこれをどう見るでしょうか。

         もちろん、音楽に国境はなく、ジャズもすでにグローバルな音楽なのだから、そこで活躍するミュージシャンがどこの国の人かなどと識別すること自体がナンセンスなのかもしれません。この段階に至れば、漱石の「内発的な開化」と「外発的な開化」の区別も意味を失うでしょう。しかし、芸術でさえまだ無国籍なものはほとんどありません。芸術だからこそ文化が色濃く刻印されるのは、一面で当然なのかもしれません。

         ところで、世界の一流ジャズ・ミュージシャンが演奏するロニー・スコッツのステージに置いてあるピアノはヤマハ製です。この事実を知ったら、漱石は満足げに髭をなでるのではないかと思います。【2011/8/28】

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