CSRとフィランソロピー

CSRという言葉。コーポレート・ソーシャル・リスポンシビリティーの略ですが、「企業の社会的責任(貢献)」と訳すことができます。

これも開発援助との関連で気になっている言葉の一つです。個人が善意で開発途上国の人々の生活の改善や困窮者の救済に何らかの貢献をしたいと思う気持ち、わかりますね。

一方、国がODAという形で途上国の開発を援助するには、納税者が納得するような理由付けが必要になります。そのときに使われるロジックには「人道的支援」「先進国としての責務」という「利他」と、「相互依存」「我が国企業の利益」という「利己」の両方があります。「利他」は「贈与」に結びつき、「利己」は「交換」という発想につながります。

また、個人と国家の中間レベルのアクターとしてNGOがあります。特に開発NGOであれば、「なぜ途上国の人々を支援するのか」という理由付けは明確で「そのための組織だから」で問題ありません。こうしたNGOのサポーターはそのためにお金や労力を提供するわけです。その背景には様々な宗教的・哲学的・思想的な理由付けがあるでしょうが、サポーター(スポンサー)はそもそもそれに同意するから寄付をしたり、ボランティア活動をしたりするのです。

さて中間レベルのアクターとして、最近「企業」の重要性が開発援助の文脈でも注目されるようになってきています。企業はもともと、利潤追求のための組織であり、開発援助は本来の業務ではありません。とはいえ、日本でも昔からよく聞かれる言葉に「企業の地域貢献」があって、企業自身も地域コミュニティーの一員として責任ある行動を取るべきだ、という考え方は広く受け入れられています。日本では「交通安全週間」に企業が通学路の横断歩道に交通整理の人を派遣したり、毎月決まった日に駅前の掃除をしたりという光景は昔から見られます。こうした活動は企業の本来業務(自動車を作ったり、チョコレートを作ったり)とは異なりますが、これをさして例えば株主が「利益に結びつかない無駄な活動をするな」などというクレームをするということはまずあり得ないでしょう。地元のお祭りに寄付をするのも広い意味では地元貢献でしょう。こうした地域コミュニティーに対する貢献は、目に見えすいしわかりやすいのですが、貢献の対象が地球大に広がって途上国の人々の生活に関連する活動をし始めると、「何のためにやるのか」という理由付けが必要になってきます。

昨日飲み会で、ある人が、企業のフィランソロピー(例えば音楽ホール作ったり、奨学金を出したり)とCSRを比べて「フィランソロピーは、企業的な利益を想定しないが、CSRは間接的にイメージアップなどで売り上げ増加を意図している」という定義を紹介してくれました。異論はあるでしょうが、これはわかりやすい定義の一つだと思います。

つまり、フィランソロピーは「贈与」、CSRは「交換」という解釈です。

「援助は贈与か交換か」。この問いにしばらく向き合ってみたいと思っています。

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