内憂外患・日本の援助

最近気になっているのは、日本のODAをめぐって「日本だって格差社会で貧しい人がいるのに、何でわざわざ途上国のことにくちばし突っ込んで、我々の税金を使うのか」という議論です。

 これに対して「それは先進国日本の義務だから」という反論は、なかなか説得力がありません。何しろ国内にだって困っているホームレスがいるのですから。どうせ贈与なら、国内に贈与せよ、ということです。

 別の反論の仕方は「途上国に援助することは、巡りめぐって日本の企業や日本の国益につながる」という説明の仕方です。この場合わかりやすいのは「日本の企業の受注や投資や輸出につながる」という「国益」論です。これは、一種の「援助とビジネスの交換」論ですね。

 ただ、この「企業利益=国益」論は1980年代にさんざん週刊誌で叩かれた結果、「ひも付き援助はやめよう」ということになったのです。それが、20年経って「日本の企業の利益にならないと血税使う意味がない」という形で復活してきたというところがまた興味深いですね。

 実は今日のお昼に、中国の援助研究者の方々とお話しする機会がありました。彼らは「西洋流の独善的な援助のやり方に全面的に賛成するわけにはいかない」「中国は途上国と対等な関係の『協力』を指向する」と主張しています。これは近年の中国の対アフリカ援助をめぐる議論の中で出てきた発言です。

 最近中国は「新興ドナー」とも呼ばれていて、西側世界(日本も含まれますが)が「民主化」「人権」などを前提条件とした「条件付き(コンディショナリティー)」援助をしているのに対して、そんなややこしいこと言わずに気前よく「箱モノ・インフラもの」援助をしているのです。当然アフリカの政治家からは「中国の援助は良い」という評価が得られるわけです。

 日本はかつて、こうした「箱モノ」「企業利益誘導」援助をしていて、欧米ドナーから批判されて、「アンタイド(ひもの付かない)」援助、「人道・民主化」援助にシフトしてきた経緯があります。

 でも今、日本のODAは国内では「日本の国益に結びつかない」と批判され、途上国(例えばアフリカ)では、「いろいろうるさいこと言われて嬉しくない。中国の方が良い」と言われているのです。

 日本のODAは、いったい何を目指すべきなのか、説得的な議論を作っていかなければならない時期に来ているのでしょう。

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