【ブライトン特急・33】《Hammer》

 BBCが放映している昼間の娯楽番組に、”Homes under the Hammer”があります。このハンマーとは「競売用の木槌」のことなのですが、イギリス人は競売(auction)が大好きなようです。自分の家の屋根裏(Atic)から出てきた骨董品を競売に出し、いくらで売れるかという”Cash in the Atic”のような「お宝発見」番組は日本にもありますが、家の競売番組は日本ではあり得ないですね。

         競売にかけられるのは田園地方の邸宅もありますが、多くはロンドンなどの都市のアパートメントの一区画(flat)、あるいは棟割り長屋(semidetached house)などです。もちろんすべてが中古です。セミデタッチトというのは、一つの建物が左右対称の二軒の家に分かれているもので、都市には多い形態です。長屋と言えば長屋ですが通常は裏手に細長い庭(それなりの大きさがあります)がついています。

         さて、この番組で家を買う人の目的は自分が住むためではありません。買い取った家を改修して付加価値を高め、貸し家にしたり転売して利益を出すためです。番組では競売前の状態を撮影し、競売で落札した人にインタビューして改修計画を聞き、改修後どれだけ美しくなったかを撮影して、最後に不動産屋さんに期待される家賃や売却価格を鑑定してもらい、この投資がどれだけ儲かったかを検証するという流れで構成されています。たとえば5万ポンドで買った家に1万ポンドをかけて改修し、7万ポンドで売れれば1万ポンドの利益となります。もちろん、損をしてしまう場合もあります。

         損するか得するかは改修者のセンス次第なので、ぼろぼろの家(たいていこの番組で取り上げられる家はぼろぼろです)がいかにすばらしく蘇るかが、視聴者の興味を引くのです。こうした「改修・転売」が成り立つのはイギリスの家屋の寿命が長いからです。家屋の寿命が短い日本ではなかなかこうしたビジネスは成り立ちませんね。何しろ競売にかけられるアパートは築100年というのも珍しくないのです。日本では築100年の物件に買い手はつきませんね。

        ところで イギリスの町並みには煙突がつきものですが、現在のロンドンでは暖炉を使う家などまずありません。そもそも1952年のロンドンスモッグで1万人以上が死亡して以降、大気汚染対策として暖炉にコークスを使うことが禁止されているのです。それでもほとんどの家に煙突がついているのは、暖炉が現役だった頃に建てられた家がまだ残っているからです。つまり、少なくとも築60年ですね。もちろん現在ではほとんどの家の暖炉はふさがれています。だからもはやサンタクロースは、プレゼントを持って子供部屋には入れないのです。

         このように、地震のないこの国では家は一度建てたら半永久的に使えることが前提となっています。また多少がたが来ても、セミデタッチトの場合は、左右に異なるオーナーがいるわけですから、仮に片方が建て替えたいと思ってももう一方の持ち主が合意しない限り建て替えられません。複数の持ち主が錯綜するアパートメントの場合はさらに困難です。この結果、多少不満があっても修理しながら使い続けることになるわけです。こうして古い家屋の改修・補修専門のビジネスも充実して来ます。

         イギリスで家を借りるときには水漏れ、配管詰まりなどの「水回り」が最大の懸念事項ですが、それゆえに配管工(plumber)がたくさんいて、老朽化した水道管、下水管などの補修を専門に商売が成り立っています。ガスの配管、電気や電話線の配線も専門業者がいるようです。壁紙の張り替えくらいは自分で出来るかもしれませんが、崩れた壁の補修や外壁のひび割れの補修、再塗装などにはそれぞれ専門家を頼むしかありません。

         この番組で私が一番驚いたのは、火事で丸焼けになった家が競売になっていたことです。煉瓦造りの外壁には焼け焦げあとがあり、内部は完全に黒こげで、日本だったら絶対に建て替えると思うのですが、こちらでは「改修」なのです。配線・配管を直し、内外装をすっかり新調すれば、ちゃんと貸家として市場に出せるというわけです。

         アパートに限らず、オフィスビル、商業ビルなどもしばしば補修をしていますが、そのたびに建物全体を覆う大きな足場を組みます。そしてこの足場(Scaffolding)を組むことを専門にしている業者さえいるのです。それだけ改修工事がしょっちゅう行われていると言うことですね。再塗装などの場合は足場の上から建物全体をシートで覆ってしまいますが、地上階部分が店舗になっているビルの場合は、客足が遠のいてしまいかねません。そこで、足場の外側にそれぞれの店舗が「通常通り営業中(Open as usual)」という横断幕をかけているのも、日常的な光景です。

         ロンドンに古い建物が多いのは、1666年のロンドン大火(The Great Fire of London)で町の大半が消失したあと、建築家クリストファー・レンなどの進言で木造家屋の建築が禁止され、石造り・煉瓦造りの建物だけになったからです。このクリストファー・レンはセントポール寺院など現在のロンドンの多くの有名な建物を設計した人として有名ですね。日本でも同じ頃(1657年)江戸に明暦の大火(振り袖火事)があり、10万人以上が焼死したとされています。江戸でも瓦屋根の推奨、低所得住宅の郊外移転などの措置は取られましたが、さすがに木造家屋の禁止は出来ません。日本の文化は木を前提にしているからです。

         西洋の古い都市では中世に建てられた石造りの大聖堂などをよく目にします。こうした建物はその永続性を誇っているように見えます。これは石の文化なればこそ可能な永続性ですね。日本では木造建築の法隆寺が例外的に残っていますが、木はそもそも永続的ではありません。燃えるし、朽ちるし。しかし逆にそれだからこそ、見えないもの永続性に意義を見いだす文化を育てたともいえます。

         伊勢神宮の遷宮は20年ごとに、内宮・外宮の社殿を造り替えて神座を移す行事です。これは「継続」による汚れを払い落として「新しく」することで神聖さを維持するものですが、この儀式自体は1300年にわたって継続されているのです。日本の家屋が「新築」に価値を置くのもこれと似ているかもしれません。「家」は続くが、家屋は更新される。そういえば、アラブの遊牧民はテントでの宿営期間が長くなると「砂が汚れた」と言って、次の場所に移動するのだそうです。モンゴルの遊牧民も家(ゲル)を持ち運びますね。継続性にも動と静があるのかもしれません。

         ロンドンやブライトンの住宅街を歩きながら、チムニーポット(chimney pot)のついた家はなかなかかわいいけど、やっぱり黒瓦の木造家屋に住みたいと思うのは、年をとったからかもしれません。
【2011/6/22】

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