【イエメンはどこに行く・1】《アラブの春》

 2011年1月に、チュニジアのベン・アリ大統領が民衆の抗議デモを受ける形で国外脱出し、23年間の独裁政権が崩壊したことは、これまでの中東・アラブの政治常識を覆したという意味でまさに「革命」というにふさわしい出来事でした。一部の人々はこれを「ジャスミン革命」と呼んでいるようですが、その後これがエジプトにも波及して2月にムバラク大統領が30年にわたる政権を手放さざるを得なくなりました。これまた、大方の中東専門家が予想さえしなかったという意味で革命的な出来事です。

         こうした展開を見た他のアラブ諸国の人々は一種の興奮状態に陥り、各国に民主化要求の市民デモが飛び火します。この一連の動きを「アラブの春」と呼ぶ人もいます。おそらく1968年にチェコで起こり、ソ連軍の軍事介入で鎮圧された改革運動「プラハの春」を念頭に置いたネーミングでしょう。

         しかし、「アラブの春」の展開はそれぞれの国ごとに大きく異なっており、単純にチュニジア→エジプト→次の国というようなドミノが自動的に起こるわけではありません。リビアの状況はカダフィ氏が強固に抵抗することで泥沼化し欧米諸国が軍事介入するというとんでもない事態に発展していますし、シリアもアサド・ジュニアが弾圧志向を強めて「政府対人民」という悲惨な状態になりつつあります。バハレーンの争乱は、パトロンであるサウジが軍事介入して押さえ込んでしまいました。

        では、イエメンはどうなるのでしょう。事態は流動的ですが、イエメン専門家と名乗るからには、最近の事態の推移に知らんぷりもしていられませんので、これからしばらく「イエメンはどこに行こうとしているのか」についての、私の考えを述べてみたいと思います。
【佐藤寛・2011/6/12】

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