【もし今漱石がロンドンにいたら・3】《極度乾燥しなさい》

漱石がロンドンにいた頃には絶対あり得なかったことの一つに、イギリス人が日本語のプリントされた服を着ている、ということがあります。欧米で「漢字」がTシャツなどのデザインとしておしゃれに感じられるようになってから、もう十年以上たつと思います。漢字一文字、たとえば「愛」などや、二文字「平和」などのTシャツはアメリカや東南アジアでもよく見かけますね。時には漢字を入れ墨(Tatoo)として腕などに彫り込んでいる人さえいます。日本にいる米兵などには以前から見られた現象ですが、こちらで見るのは普通のイギリス人なのです。

         日本語の人気には、日本のマンガやゲームの影響も大きいようで、IDSのコンピューター部門のテクニシャンであるエイドリアン君はいつもマンガのヒーローと「希望」という漢字の入っているTシャツを着ています。先日はビクトリア駅の近くで「大和魂」というTシャツを着ている人を見ました。このようにデザインとしての日本語の存在はもはや、珍しいものではありません。中には日本語として意味の通らない言葉や、左右の反転した文字なども見かけますが、ほとんどの人はそこに何が書いているかはよくわからずに着ているので、クールに見えればそれで良いのです。

         ビクトリア駅の近くの「ハウス・オブ・フレーザー」というデパートは日本で言えばパルコなどに当たるでしょうか、おしゃれな服飾ブランドが数多く出店しているファッション・ビルです。駅への通り道だし、「無印」も出店しているので私も時々買い物に行きます。

         無印はこちらではMUJIの名前で知られていますが、必ずその横に「無印良品」という漢字も記されています。これは日本での出自を知る私たちには自然です。ところが同じ「ハウス・オブ・フレーザー」の男性ファッションフロアには、やはり日本語で「極度乾燥しなさい」と書いてある店があります。これにはかなりびっくりしました。

         すでに日本のブロガーの間でも話題になっているようですが、これはSuperdryというこちらのブランドのロゴの一種なのです。このメーカーのジャケットやパーカーには、必ずどこかに怪しげな日本語が入っていて、それを着ている人を地下鉄の中でもよく見かけます。しかし、決してまがい物ブランドではなくそれなりに人気があるようです(そもそもハウス・オブ・フレーザーに出店しているのですから)。ご関心のある方はhttp://www.superdry.com/をご覧ください。意味不明の日本語だけでなく、ローマ字でTokyoやらYokohamaやらOsakaやらが登場しています。

         「スーパードライ」という単語は、はおそらく、日本のビールによって知名度を上げたものと思われます。アサヒ・スーパードライはビールの本場イギリスでも現地生産をしているほど親しまれているのです。しかしそれを日本語表現するという発想は日本人にはありませんね。むしろ、我々は英語であることに「クールさ」を見ているからです。しかもそれが「極度乾燥」になったのは見事と言うほかありません。さらに「しなさい」がついているところは「漢字+ひらがな」のデザイン的なかっこよさを求めたのでしょう。この際訳した人がどれだけ日本語に堪能だったかは問題ではありません。

         こうした日本語氾濫現象の背景には、日本人の作ったもの(家電製品、自動車、コンピューター、ビールなど)が、第二次世界大戦後に徐々にイギリス人の日常生活の中に浸透してきた歴史があります。そして、それを「東洋の遅れた人たち」の製品だという感覚なしに受け入れるようになり、今ではそもそもそれを日本製品と意識しないで使っている人の方が多い状況まで来ているわけです。

         その次にマンガ、ゲームなどのソフトの流入があり、明らかに視覚的には「エキゾチック」さを残しながら、むしろそれ故に「クール」と感じて受け入れる段階に来ているのでしょう。つまり、「極度乾燥しなさい」がブランドとして成立するようになった背景には、漱石の留学時代以来100年以上にわたる日英交流史(その中には第二次世界大戦での交戦もあります)、その過程での多くの日本人の様々な努力の蓄積があるように思えるのです。

        漱石が間違った漢字のプリントされたTシャツを見たら、喜んで「猫」あたりに批評させるのではないでしょうか。【2011/6/13】

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