【ブライトン特急・9】《John Bull》
日本からイギリスに手紙を出すときに、「あれ、イギリスの国名は何だっけ」と思ったことはありませんか。日本ではイギリス、英国などで通用していますが、正式国名は「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」ですね。でも、こんなのいちいち封筒に書いていられません。だから、こちらでは「連合王国(United Kingdom)」の部分だけを取り出してU.K.と表記するのが一般的です。
でも、この言葉には形容詞形はありません。つまり「連合王国人」などという言い方はないのです。日本語では「イギリス人/英国人」と言いますが、これはいずれも幕末期にEnglishを「エゲレス/英吉利」と訳した名残で、英語に直してしまうと厳密には「イングランド人」しか意味しないのです。
問題は、イギリスをインクランドで代表して良いのか。答えはノーでしょう。 武力でインクランドに併合された、ウェールズ人もスコットランド人も、アイルランド人もイングランド人と連合は組んでも、イングランドの中に併合されることには合意していません。だから「連合王国」なのです。 Britishという言葉もかなり使われます、これは「ブリテン島の」を意味しますから、この島の北部のスコットランド、西部のウェールズ、そして残りのイングランドを代表できますが、隣のアイルランド島の一部である北アイルランドを含みません。だから、アイルランド独立運動がくすぶっている現象では、この言葉で国民を代表させるのは政治的に不都合です。
こうした事情はスコットランドがイングランドに負けた18世紀の初めから継続していますから、ヨーロッパの人々もこのあたりは心得ていて、イギリス人を表象する言葉とイメージを別途作り出しました。それがジョン・ブル(John Bull)です。もともと新聞の風刺画から始まったようですが、肥満体に国旗柄のベストを着て、革のブーツを履き、ブルドックをつれて歩いている姿です。武力で植民地を拡張するイメージでしょうか。ここでのポイントは国旗(Union Jack)ですね。
我々にもなじみがあるこの旗は大英帝国の船の船首の旗竿(Jack staff)に掲げる連合旗(Union flag)という意味で、白地赤十字のインクランド旗、青地に白の斜め十字のスコットランド旗、白地に赤の斜め十字のアイルランド旗を合体させて出来たそうです。かわいそうなのはウェールズで、この旗が考案された時にはすでにイングランドに統合されていたのでデザインに取り入れてもらえなかったそうです。でも、今でもウェールズではウェールズの旗がよく見られます。
今年(2011)年、クリケットのワールドカップがありました。ここに参加するのはイギリスと旧イギリス植民地だった国がほとんどですが、宗主国イギリスからはイングランドとスコットランドとウェールズが別々の国として参加しています。人口が多くてもインドやバングラは一チームしか出られないのに不公平だいう気もしますが、「国」という意味ではそれぞれが別々のアイデンティティーを持っていることを象徴していますね。
イングランドの仇敵スコットランドは特にこの独自傾向は強いようで、だから工業製品なども 「Made in Scotland」と表記して何の違和感もないのです。また最近スコットランドに「国会」が復活し、少しずつ中央政府から権限を取り戻す動きがあるようです。スコットランドに行った時に驚いたのは、同じポンドなのに別の紙幣があることでした。ロンドンの金融街(The City)の中心にイングランド銀行があることは知っていましたが、私はこれを日本銀行同様のものだと考えていました。確かに中央銀行ではあるのですが、スコットランド銀行も紙幣発行権を持っているのです。もちろん、全く等価で通用します。
このように、連合王国は言葉、民族、宗派いずれもすこし入り組んでいます。しかし、植民地をもつとなればこれらの違いは相対的に小さな問題になり、「宗主国民」としての一体感を持つことが出来たのでしょう。スコットランドがイングランドと連合を組むことにした理由の一つが、その頃拡張しつつあったイングランドの植民地での活動に参加したかったからだという説明は非常に説得力があります。実際植民地軍の主力は「勇敢な」スコットランド人だったようです。
植民地が独立し、連合を組んでいるそれぞれの「国」が自立性を強めていくと、最後にはインクランドだけが残る、ということになるのでしょうか。しかし、インクランドの強みは英語です。アメリカとの連帯を支えているのもこの言葉。ションブルの最大の武器はブルドックではなく、Englishでしょう。【2011/5/29】
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