【ブライトン特急・32】《Graffiti》

イギリスに限らずヨーロッパやアメリカでは線路沿いの壁面などに落書き(Graffiti)がでかでかと書かれている光景をよく目にします。時には地下鉄の車体にも書かれていたりするのですが、もちろん違法です。鉄道会社はこれを何とか取り締まろうとしていますが、夜中に線路内に忍び込む落書き犯を捕まえるのは簡単ではないようです。

         こうした落書きや器物破損は「反社会的行為(anti-social behaviour)」と呼ばれており、社会的な不安定を増すものとして強い懸念の対象となっています。キャメロン連立政権の唱える「大きな社会(Big Society)」は、公共事業の支出を削減する代わりに地域コミュニティーの役割を強化しようとするものですが、同時にコミュニティーの強化によってこうした反社会的行為の抑止力も高めようとするものです。

         犯罪社会学で言われる「割れガラス効果」とは、学校などで窓ガラスが割られたまま放置されていると、次の窓ガラスを割る行為を誘発し、さらには他の器物破損にまでエスカレートしやすいという「負の連鎖」を意味します。落書きはこうした割れガラス効果の最初の引き金になりやすいため、その防止対策は重要と考えられているようです。

        このため、 テレビでもCCTV映像を公開して犯人捜しへの協力を呼びかけていますし、線路内立ち入りを阻止する防護柵などの設置も進んでいるので、おそらくひと頃に比べると落書きの数も減っているのではないかと思います。ただ、落書きがしにくくなると、器物破損や夜間徘徊など他の反社会的行為が増えるといういたちごっこになります。

         落書きだって立派な芸術なのだから、表現の自由を認めるべきだという立場の人たちもいます。ブライトンはこうしたリベラルな人たちの多く住む町なので、町中に様々な「落書き芸術(graffiti)」があふれています。もっとも公共施設に無断で書いているわけではなく、ほとんどの場合個人の家の壁などに許可を得て書いているので「反社会的行為」には当たりません。

         ブライトンは観光地でもある一方、若い芸術家などが集まる町なのでおしゃれなブティックや雑貨屋の集まる界隈がいくつかあります。ブライトンの駅から海岸に出る間にあるノースレーン(North Laine)もそうした一画で、「下北沢みたいだ」という人もいます。そしてこのノースレーンの周辺は落書き芸術のたまり場で、少し路地に入ったところなどに様々な意匠をこらした落書きが所狭しと描かれています。中には2階建ての家の壁面いっぱいを使ったり、駐車場の壁全体を使ったスケールの大きなものもあります。

         絵柄は日本のマンガアイドル風のものから、アメリカのコミックタッチのもの、ストーリー性のあるものなど、見ていて楽しいものも多いですが、私にはこうした芸術の善し悪しはよくわかりません。しかし、中学の時に落書きをして補導された実績を持つ息子は、ブライトンに遊びに来たときにこうした壁面グラフィーティーを目にして「聖地だ・・・・」とつぶやき、しばらく立ちすくんでおりました。蛇の道はヘビ、ということでしょうか。

         壁面グラフィーティーの世界にも「有名人」というのはいるようですが、この手のストリート・カルチャーは、「場の日常性」(正式な舞台やキャンバスではない)」と「主張の逸脱性」(社会から少しはみ出したところからの意思表明)というところに魅力があるので、名前が売れて「エスタブリッシュ」になると真価が失われるという批判もあります。このあたり、フェアトレードのメインストリーム化に対する批判と似ていますね。

         ロンドンのウエストエンドで上演されている「Stomp!」というダンスパフォーマンスがありますが、これは通常の楽器を一切使わず、道路掃除用のモップやバケツや空き缶などをたたきながらリズムを取って踊るもので、すばらしい躍動感にあふれています。そしてこれはもともとブライトンの道ばたで始まったのだそうです。

        また、 最近注目されているアフリカの芸術に、使い古しの空き缶をつぶして継ぎ合わせ、自動車や飛行機などの模型を作るものがあります。これも元々は手元にある素材を利用した貧困家庭の手仕事(ブリコラージュ)だったのでしょうが、今や商業化してケニアやタンザニアでは立派なお土産ビジネスとなっています。考えてみれば、途上国の方が日常と芸術の間の敷居が低くて相互に行き来がしやすいのかもしれません。

         「いたずら」が芸術となるのか、犯罪となるのか、その違いは何なのか。ブライトンの落書きを見ながら時々考えるのです。【2011/6/21】

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