【ブライトン特急・27】《Bobby》
イギリスでは警官・巡査を親しみを込めてBobbyと呼びます。日本語にすると「お巡りさん」というニュアンスでしょうか。BobbyはRobertという男子名の愛称ですが、ロンドン警察を設立したSir Robert Peelにちなんでいるそうです。話はそれますが、東京で警視庁を創設したのは川路利良ら薩摩藩士が中心でした。このため巡査たちは薩摩弁丸出しで「おい、こら」と庶民に呼びかけていたので、江戸っ子は警官のことをかげで「おいこら」と呼んでいたそうです。Bobbyの方がよほどましですね。
別項でお話ししたように道路清掃人(street cleaner)はいたる所にいるのですが、繁華街で道路清掃人以上に目につくのは警官の姿です。大きな地下鉄の駅や賑やかな交差点にはほぼ必ず巡視中の警察官の姿を見つけます。また、黄色と青のチェッカー模様のパトロールカーもあちらこちらに止まっています。
パトロール中の警官はたいてい二人一組で、防弾用のパッドの入ったベストを着ているのでかなり着ぶくれ気味で、肩のところに業務用携帯電話をさして歩いています。警官には女性も多く、また人種も多様です。二人一組なのは、暴漢などに襲われたときのための自衛策でしょう。日本の警官が通常一人でパトロールするのとは違いますね。もっとも日本には「交番」があって、そこに複数の警官が詰めていますが、こちらには交番はありません。
それ以外にも、パトロールカーや自転車(1896年に世界で最初に自転車を採用したのはロンドン警察です。これまた二人一組)のパトロールを見かけます。また、住宅街では正規の警官ではなく、自治体(council)に雇われた警備員や、住民ボランティアなどが警官のような服を着て巡視している場合も少なくありません。
こちらに住み始めてまもないある土曜日の午前中、ロンドンの静かな住宅街の自宅にいたら、遠くから「パカパカパカ」というリズミカルな音が聞こえてきました。何事かと思って窓から下をのぞいたら、家の前のアスファルト道路を二人の騎馬警官(mounted police)がゆっくりとパトロールしていました。優雅ですね。確かに馬に乗ると眼の位置がかなり高くなるので視野が広がり、巡視には向いているのかもしれません。いずれにせよ、この国ではまだまだ馬が現役です。
徒歩にせよ、自転車にせよ、騎馬にせよ、また正規の警官にせよ公的な警備員にせよ、これほど頻繁に巡視しているということは、ロンドンではそれだけ様々な犯罪リスクが高いということを意味しています。大通りなどを歩いていれば日中は大きな凶悪犯罪に巻き込まれる確率は低いですが、地下鉄の駅や繁華街でのひったくりなどは日常茶飯事です。これは、世界中からいろいろな人が集まるグローバルシティーの宿命でしょう。
ロンドンのこうした光景を見慣れた外国人が東京を訪れると「こんなに警官が少なくて(目立たなくて)治安が維持できるのか」と不安になる、という話を聞いたことがあります。確かに日本の犯罪発生率の低さは世界に誇れるものがあります。東京は日本で教育を受けた日本人が社会の大半を構成していますから、誰がどんなことやらかしそうか、そして何をやったら「やばい」のかの相場観=社会通念が共有されているのです。だから、最低限の巡視活動でも治安が維持できるのでしょう。
これに対してロンドンでは観光客も含めて、イギリス以外で生まれた人、イギリス以外で教育を受けた人が社会の過半数を占めています。中には言葉も満足に通じない人も少なくありませんし、イギリス人とは全く異なった価値観を持つ人も数多く生活しています。こうした社会では「社会通念」の共有は不可能で、誰が何をするのかはほとんど予測できないし、食いっぱぐれた人々の道徳的自制心に期待することは困難です。だからこそ警察力を総動員してこうした事態の予防に努める必要があるのでしょう。
しかし、2010年に成立した保守連立政権が打ち出した「支出削減(Spending Cut)」は警察の予算も直撃し、ロンドン警視庁(Scotland Yard)は「これでは首都の治安を守れない」と抗議しています。その説明によれば、二人一組のパトロール体制を維持するには交代要員、本部でサポートするスタッフを含めて最低六人が必要とのことです。日本ではパトロールにどれくらいの人員を費やしているのかはわかりませんが、これほど高コスト体質ではないように思います。しかし、このコストは節約すれば治安悪化につながるという意味で削減の難しい項目で、政府と警察の綱引きが続いています。
とはいえ、実は今回の支出差削減のよほど以前から、イギリスでは警官不足を前提として犯罪予防と捜査に機械を活用する方向に舵を切っています。その話はまた別の機会に。【2011/6/16】
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