たまにイエメンが載っていると思ったら

 今朝(6月17日)の朝刊(東京新聞)の国際面に、珍しくイエメンという見出しがありました。それもいつものベタの一段記事ではなく、太めの活字で三段分。

 私は新聞を見るときには、国際面にイエメンが載ってないかな、とほぼ習慣的にチェックするのですが、中東のちっちゃな貧乏国イエメンが日本の新聞で取り上げられるのはまあ年回三回くらいです。そして、載るときはあんまりいいニュースではないことが多いです。

 今日の見出しは「イエメン 政府軍と民兵停戦」でした。この記事の周囲にはパレスチナ、イラク、アフガニスタンといずれも紛争ネタが取り囲んでいるので、普通の人が見れば「ああ、また中東で同じような抗争・紛争があるのね」という印象を与えるでしょう。

 確かにここ2~3年、イエメン北部の中都市サアダの近郊でイスラム原理主義的な政治集団が、反政府的な部族勢力と結びついて政府との間で小競り合いをしているのは事実です。この記事で「民兵」と言われているのがこの「アルホーシー派」と言われる集団のことです。

 ただ、この記事はこの対立の背景の説明は一切なく、「今年初めからの死者は数百人に上っていた」と結んで終わっています。この記事は「政府と民兵の間に停戦が合意された」という事実を伝えているのでまあ「良いニュース」ではあるのですが、この「抗争」がイエメン国内でどのように受け止められ(パレスチナのファタハとハマスの間の抗争のようなものなのか、特定の地方都市の治安問題なのか)ていて、どの程度深刻な問題と一般のイエメン人がとらえているか、というあたりが気になるところです。

 実は、政府とアルホーシー派との交渉(停戦交渉と戦闘)はこれまでも繰り返されており、今回の「停戦」がどれほどこれまでの交渉と異なるのかは、わかりません。

 新聞社のデスクが「これは重要」と思うから記事になったのでしょうが、たまたまほかに記事がなかったから載った、ということなのかもしれません。

 中東・イスラム・アラブの国であるイエメンこのとが記事になるときには、日本国内で現在流布している中東像(危険、怖い、窮屈)に沿った形で報道されることが多いように思います。この中東像は、実は欧米の中東像の受け売りで、これはいわゆる「オリエンタリズム」の帰結です。

 我々日本人も実は、西洋からみたら「オリエント」なのですが、いつか我々は西洋の人々の視線を借りて、同じオリエントである中東を「オリエンタリズム」のフィルターを通してみることになれてしまったのです。こうした「作られた」中東像というフィルターを通さずに、日本人の目で、中東・イスラム・アラブ世界をみれるようになりたいものですね。

 あ、ところでイエメン旅行の必携アイテムといわれている『旅行人 イエメン特集号』(2005冬号)は、季刊旅行人のバックナンバーの中での売り上げトップで、まだ売れているようです。イエメンに興味のある方は是非ご購入くださいな。

※オリエンタリズムについて興味があれば、サイード『オリエンタリズム(上・下)』平凡社ライブラリー をご一読ください。

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