【イエメンはどこに行く・3】《次は誰か》

そして、「次は誰か」です。これには全くめどがありません。まず第一に、誰もサレハ大統領がこれまでやってきたことを真似できません。皆それがわかっているので、誰もこの仕事をやりたくないのです。これが、サレハ政権が33年間続いてきた最大の理由です。

          軍を骨抜きにしておくこと、北部部族と一定の関係を維持すること、中部イエメンのテクノクラートを掌握すること、旧南イエメンの不満分子を間接的に抑えること、東部ハドラマウトの人々をつなぎ止めておくこと、そして流れ込んできたアルカーイダ系の人々が国内で悪さをしないようになだめておくこと。さらにサウジとはけんかしない程度に関係を維持し、必要なときにはお金をもらうこと。

         これらをサレハはそれぞれの仲介的な役割を担う人を使いながらやってきたのです。サレハ自身の言葉によれば、イエメンを統治することは「蛇の頭の上でダンスを踊ることに等しい」のです。(Victoria Clark “Yemen: Dancing on the heads of snakes” Yale Univ.Press, 2010)。ですから、仮にサレハが退陣しても誰も蛇の頭の上でダンスを踊る役割はしたいと思っていないのです。

      サレハは、シリアのハフェズ・アサド前大統領が息子に大統領職を禅譲することに成功したことを見て、またムバラクも息子に大統領職を息子に譲ろうとしているのを見て、自分も息子アハマドに継がせようと思っていたかもしれません。しかし、仮にそれが出来たとしても、アハマドが成功する確率は限りなく低かったでしょう。アハマドは父親が持っている「ネットワーク」を持っていないからです。今回の一連の経緯でこの可能性が排除されることは、イエメンにとっては幸いです。絶対失敗するシナリオを取らずに済むからです。

      ハーディー副大統領が、暫定政権を組織したとしても、同じことです。彼は旧南イエメンの代表であることから、北部部族との交渉はまず出来ません。サウジとの交渉も出来ません。1981年にサダト大統領が暗殺されたときに、ムバラク副大統領が大統領になりました。このときは、ムバラクは無名で指導力が不安視されましたが、軍を掌握していたことでそれ以後30年間の政権を維持できたのです。

      ところが、イエメンでは軍を掌握している人はいません。今回の争乱の中で3月に腹心と言われていた第一師団司令官(アリ・モフセン・アルアハマル)がデモ支持を表明しましたが、まだ軍は一応大統領の指揮下にあります。各部隊の司令官だけはサレハと個人的につながっているからです。

      もしも、政府が組織的に動いているなら、トップが変わっても組織は継続的に活動できますが、そうでない場合(イエメンの軍がそうですが)は、トップが変わったら大混乱になるだけです。

        北部部族については、5月後半からサレハ自身の出身部族であるハーシェド部族連合の連合部族長サーディク・アルアハマルが公然と反旗を翻し、あっという間に一部の政府機関を占拠しました。この程度の軍事力を北部部族が保持していることは明らかだったので驚くことはないのですが、アハマルは、サレハのやり方に怒っているのであって、自分が大統領をやろうなどとは露ほども思っていないでしょう。

         そもそも、そんなことを言い出したら、これまで三ヶ月以上民主化要求デモを続けてきた学生たちが黙っていないでしょう。野党連合は今回の一連の動きの中でサレハに圧力をかけてきましたが、それを率いる指導者はいません。所詮烏合の衆です。

         また、今回の大統領府攻撃を誰がやったのかも謎ですが、サレハが負傷してサウジに出国したことを反サレハ派の人々は皆喜んでいますが、これでサレハが暗殺されたとしたらこれまでの民主化運動の意味はほとんど失われてしまいます。

      現時点では、サレハ後のこの国の舵取りをどうするのか。全くめどが立ちません。もちろん、憲法の規定に則りハーディー副大統領が暫定政府を組織することが最も穏当です。それで一年程度はしのげますが、その間に次の「国の姿」を模索しなければならないことになるでしょう。
【2011/6/14】

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satokan
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