【ブライトン特急・38】《Manor house》
ロンドン、パリは日本の観光客にとっての定番コースなので、一週間で両都市を回る(これにローマが加わったりしますが)ようなツアーもあります。そうしたツアーではロンドン市内を回ってお買い物をするだけで精一杯ですが、もう少し余裕のあるツアーだと「イギリスの田舎(Country side)」に行くプログラムが組み込まれています。
ガイドブック的には「あこがれの田園生活」ツアーの行き先として日本人に人気が高いのはコッツウォルズ(Cotswolds)地方だそうです。コッツウォルズは中西部イングランドに位置し、大学町オックスフォードと港町ブリストルの間に展開する丘陵地帯です。羊が点在する緑の牧地のそこここに、石灰石(limestone)で積み上げた乳白色の建物や、茅葺き屋根の民家がみえる光景は、たしかにのどかな印象を与えます。ロンドンからも日帰りのバスツアーがあり、売り物は「マナーハウス(Manor house)でアフタヌーン・ティー(Afternoon tea)」です。
私はマナーハウスというのはテーブルマナーでも教えてくれるところなのか、と思ったのですが、Manorは封建時代の「荘園」という意味なので、文字通りには「封建領主の邸宅」です。しかし今では「由緒ある田舎屋を改修した民宿」というようなニュアンスで使われることが多いようです。アガサ・クリスティー原作の『ねずみとり(Mousetrap)』は1952年の初演以来ロンドンで59年間連続というギネスブック的ロングランを続けていますが、その殺人事件の舞台となっているのが若夫婦が始めたばかりのManor houseで、邦訳では「山荘」となっています。
コッツウォルズに限らず地方での宿泊には、こうしたマナーハウの人気が高いようです。日本でも脱サラ組が観光地の民宿をやっていたりしますが、こちらでは引退した夫婦が、生活の片手間にやっている例が少なくありません。以前ご紹介した中古家屋のオークション番組 Homes under the hammerにも、時々こうした目的で家を買う人が出てきます。
かつてマンチェスター郊外の低い山岳地帯(peak district)に行ったときに泊まったのも老夫婦と犬が住む民宿でした。サービスは最低限で、夫妻が仲良くお出かけしてしまうこともありますが、家庭的なもてなしが売り物なのでしょう。
ところで、アフタヌーン・ティーの方はお茶というより、「フルコースのおやつ」と言うべきでしょう。ティーウォーマー(お茶が冷めないように覆う上着みたいなものですね)をかぶったティーポットとともに、ウェディングケーキの骨組みのような三段重ねの銀のトレーがテーブルの真ん中にでんと置かれます。三段のそれぞれにはサンドイッチ、スコーン、ケーキが乗っています。ロンドンの町中では一流ホテルでサーブされていますが、一ヶ月以上前から予約しないといけない人気だそうです。
それにしても、なぜこんなにボリュームがあるのか不思議です。「もともとイギリス人は一日2食で、アフタヌーン・ティーは夕食の代わりだったから」という説明もありますが、食事にしては甘すぎます。むしろ貴族、上流階級は夜に晩餐会・舞踏会などが控えていて、その時に夕食を食べるのでそれまでのつなぎにアフタヌーン・ティー、という説明の方が納得できます。ここには、上流階級の生活を外国人が疑似体験して満足する、という構図が見えますね。
しかし、封建制度華やかなりし頃でも荘園領主はせいぜい人口の1パーセント、アフタヌーン・ティーを楽しんでいた人はせいぜい全人口の5パーセント以下ではなかったでしょうか。それでも、今では「マナーハウスでアフタヌーン・ティー」がイギリスを代表する文化として観光資源になっているわけです。もちろん、上流文化は社会の上澄みであるとしても、社会のあり方の一つの反映であることは間違いありません。
近年では途上国でも「観光開発」をてこにした外資獲得が注目されています。中には、「コロニアル文化」を売りにするものもあって人気があります。たとえばケニアのマサイマラ国立公園で泊まりがけでライオンなどを見るサファリ・ツアー。緑に囲まれた快適なロッジで英国式の「アフタヌーン・ティー」を楽しむのも、売りの一つです。こうした産業によって現地の人の雇用機会も生まれるのですが、その昔植民者によって自分たちの土地を追い払われた原住民の生活を想像してしまうと、それほどゆったりしてもいられない気分になりますね。【2011/6/27】
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