【もし今漱石がロンドンにいたら・8】《マンガと日本語》

ある日、ロンドンで地下鉄に乗っていたら隣の席の青年が帽子を目深にかぶって任天堂(Nintendo)のDSでゲームをしていました。何のゲームかはわかりませんが、画面では日本のマンガによく出てくるような近未来的な兵士が飛び回っています。そしてキー操作をするたびに出てくる吹き出しは日本語なのです。なので、私は「日本人はどこに行っても同じことしているのだなあ」と思って、その青年の顔をのぞき込んだのですが、驚いたことにれっきとした白人なのでした。

        もちろん、彼が日本語に堪能である可能性はあります。しかし、単にテレビゲームファンで、吹き出しの日本語はわからなくてもプレーするには問題がない、という可能性も大いにあるでしょう。この場合、言語の正確な理解はゲームを楽しむためにはあまり重要ではないということになります。幼児向きの絵本では、文字が読めなくても子供はストーリーを理解できます。ましてや、動画であれば目で見ればゲーム展開は理解できるのでしょう。 それにしても「外国語のゲーム」にそこまで熱中するだけのおもしろさがそのゲームソフトにあるということですね。

        思い返せば、私が大学卒業旅行でアメリカに行ったとき、短期間ホームステイをさせてもらったカリフォルニアの家庭には小学生の男の子がいて、彼が「ゲーム&ウォッチ」(1980年発売だそうです)に興味を示していたのが1981年。その後1989年には「ゲームボーイ」が発売されて、欧米でも相当売れたようです。私自身はこの手のゲーム機には疎いのですが、1990年代半ばにスウェーデンでストックホルム大学の人類学者と話をしたときに「最近うちの息子がフィイナル・ファンタジーにはまっているのよ」と言われてびっくりしたことを思い出します。

         こうした蓄積の下に、いまや日本語で作られたゲームがそのまま世界で通用しているというわけです。そして、そのリーディングカンパニーがもともと花札専門店の任天堂だというのも興味深いですね。任天堂の創業は1889年、漱石の渡英の10年前ですから、漱石も任天堂の花札に触れたことはあったでしょう。そして任天堂は早くも1902年に日本で最初のトランプ生産を開始しています。漱石が帰国した年です。花札という伝統的な娯楽用品の会社が、西洋娯楽のまねごとを始めることを漱石だったらどう見たでしょう。やはり「上滑りの開化」の一例と見たでしょうか。ちなみに、漱石はズボンを洋袴、靴下を洋足袋と訳していますから、トランプは洋花札でしょうね。

         ところで、イギリスの大学生の中にはマンガに興味を持っている人たちも多いのですが、マンガの生産では、日本が量・質ともに他国の追随を許さない先進国です。マニアは一刻も早く最新情報を入手したいと思うもの。そこでインターネット上には彼らが日本語で発表されたマンガをすぐに読むための「吹き出し翻訳サイト」があるのだそうです。文学作品とは違って、絵を見ればニュアンスも伝わるので、吹き出しはあくまでも補助的な役割ですから、翻訳のレベルは自動翻訳に限りなく近いレベルでも良いわけです。また、読者が間違いに気づけばインターネット上で適宜修正することも可能ですね。つまり、言語の壁を乗り越えたマンガ・コミュニティーの成立です。

         こうなると、もはや「外発的な開化」「内発的な開化」の境界は無意味化します。もちろん、マンガを開化と見るかどうかには議論の余地があるでしょうが、少なくとも日本には絵巻物という伝統があるわけですから、決して外発的なものでないことは明らかです。それが、西洋に受け入れられていることをロンドンの雑踏の中でも日常的に感知できるのです。
        こんな環境なら、漱石はノイローゼにならなかったに違いない、と思うのです。【2011/6/27】

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