【ブライトン特急・7】《Hero》

      「ヒーロー」というのは日本の小学生でも知っている単語ですね。そして日本ではこの言葉は映画やアニメにでしか目にすることはありません。しかし、イギリスでは日常的に目にします。それは、イギリスが「戦争中」の国だからです。

     この事実に気づかされたのは、ある日我が家の郵便ポストに「Save our Hero」というチラシが入っていたからです。このHeroは「戦争で体に傷を負った兵士」という意味でした。彼らのために募金をしましょうというチラシでした。

     イギリスはアフガニスタンで10年以上戦争をしています。そして、ニュースを見ていると一週間に一度程度は「アフガニスタンで、××連隊のイギリス兵が戦士しました」「××出身の××上等兵××歳。奥さんと二人の子供がいます」というようなことが、淡々と伝えられ、戦死した場所の地図と本人の写真が映ります。そうなのです、この国は年間100人以上が着実に戦死していく「戦時下」なのです。もちろん戦死者もHeroです。

     ロンドンの町を歩いていると、東京と表面的にはさして変わりはありません。しかし、決定的に違うのはイギリス政府と国民はこの戦争を「支えている」と言うこと。それが、大英帝国建国の当初からこの国の「本質」の一部であることです。現代の日本では一人でも戦死者の発生が報じられたら、ひっくり返るほどの騒ぎになるでしょう。日本では戦争の現実を語ることは1945年以来タブーのままです。

     戦争をする限り、戦死者、負傷者は避けられません。だとすればその戦死者・負傷者と家族をどれだけ手厚く扱えるかで、その社会がどれだけ戦争を支え続けられるかが決まります。軍の士気にも関わるでしょう。今(2011年5月)ちょうどロンドンで年に一度の大規模なフラワーショー(園芸祭)が行われています。昨日(5月26日)BBCのニュースはそのフラワーショーの会場(このお祭りは毎年退役軍人の隠居施設であるChelsea Royal Hospitalで行われます)の一角の温室で、四肢のいずれかを失った兵士がフラワーポット作りをして、心の傷を癒しているという活動を伝えていました。もちろん、傷病兵は国から様々な年金やサービスを受けることが出来ます。

     昨年の10月の後半、テレビのアナウンサーが胸に赤と緑の造花のようなものを背広のボタンホールに付けているのに気づきました。日本でも赤い羽根を背広につけることがあるので、そうしたものなのだろうと思ったのですが、それが何日も続きます。そして日を追うごとにニュースに登場する人(解説者や街頭インタビューの相手も)の中にこれをつけている人が増えていくのです。

        友人に聞いたらこれは赤いケシ(Poppy)をかたどったもので、11月14日の英霊記念日(Poppy Day。正式にはRemembrance Sunday)に向けての募金活動の一環だということがわかりました。もともとは第一次世界大戦の戦死者の追悼のためだったようですが、その後の戦死者も含めて一年に一度Heroたちに対する敬意を新たにする、という性格のものになっているようです。この時期、あちらこちらでこのポピーと引き替えに募金をする活動が行われていて、黒塗りのロンドンタクシーのラジエターにも大きなポピーをつけた車が目立ち始めました。

     11月14日日曜日の午前中は、国会前の大通り(Whitehall)を閉鎖してこの通りの真ん中にある英霊記念碑に女王、首相、閣僚、宗教関係者、英連邦(Commomwealth)加盟国の代表などが順番に献花をし、そのあと全国から集まった遺族、退役軍人会などの人々がパレードをしながら英霊記念碑に献花をしていきます。献花するのはポピーをあしらった花輪(wreath)で一団体に一つですが、たくさんの団体が行進していくので大きな記念碑の周囲がみるみる赤と緑の色に染まっていきます。

     今の日本では、戦死した軍人に対して敬意を払う機会はほとんどありません。というよりも社会的に禁じられているといっても良いでしょう。なぜなら戦争は「悪いこと」だから。その平和主義は良いと思いますが、いかに「間違った戦争」だったとしても、日本のために戦った人々の死を手厚く弔うことは決して悪いことではないはずで、その意味でイギリスが戦死者や障害者になった軍人をHeroと呼ぶことに異議を唱えることは出来ません。

        ただ、気になるのは、両足を失った白人のHeroや、車いすに乗り片手はキャプテンフックのような義手になっている黒人のHeroがフラワーポットをつくっている姿が伝えられ、そうした人々に対するシンパシーが再生産される時、彼らがアフガニスタンの戦場で殺したり、傷つけたりした人々のことは半ば意図的に「忘れられる」ことになってしまうのではないかということなのです。

     戦う以上はこちらに「正義」があり、「敵」は悪い人でなければなりません。これは憎しみの悪循環になりかねないロジックです。欧米の「民主主義国」がいずれもこうしたロジックを内包していること、それをHeroのロジックが支えていることは、見逃せない事実だと思います。

     今週はオバマ大統領が「歴史的訪英」をして英米両国の緊密さを演出していきました。イギリスもアメリカも「敵」さえ見つけられれば、リビアにもどんどん爆撃を加えられる、パキスタンに勝手に踏み込んで自分たちの嫌いな人を殺せる。この成り行きは私にはなかなか理解しにくいことです。日本がこのゲームに積極的に荷担しなくてすむのは、「敗戦」という財産があってこそかもしれません。だとすれば私たちは太平洋戦争での戦死者を英雄と呼ばないまでも、彼らの死を無駄にしないという気持ちをなおさら持ち続けていかなければなならないのではないでしょうか。【2011/5/27】

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