【ブライトン特急・3】《Bed Bugs》

 ロンドンに住んでブライトンに通うことにしたので、まず最初にロンドンの住居を探しました。ブライトン特急の始発駅ビクトリア駅から歩ける範囲でなければなりません。ロンドンには日本人向けの日系の不動産屋さんも何軒かあり、そこで紹介されたフラットが気に入ったので即決し、7月の終わりに住み始めました。

   6階建ての3階にあるツーベッドルームの家具付きで、窓からはプラタナスの並木が見える比較的新しい(ロンドンでは築200年という建物も珍しくないですから)アパートで、エレベーターもついています。場所はテムズ河沿いのテート・ブリテン美術館から徒歩5分の閑静な住宅街で治安も良さそうです。

 分譲マンションなのでフラットごとに家主は異なり、私のフラットの大家さんはスペイン人外交官だということです(会ったことはありませんが)。リビングには木製の落ちついた家具が入っていて、デジタルテレビもついています。主寝室のベッドも趣味の良いがっしりした木製フレームのダブルベッドでした。

 さて入居当日、シーツと掛け布団(Duvet)カバー、枕カバーを近くの雑貨屋で買って来てベッドメーキングをし、主寝室で眠りにつきました。いよいよロンドン生活の始まりです。このダブルベッドは比較的クッションが堅めで広々、快適です。が・・・。

 翌朝起きてみると、右手の人差し指の付け根がかゆいのです。最初は蚊か、だに(tick)ではないだろうかと思いました。日本でも梅雨時になると畳の部屋にはだにがいたりしますから。しかし二日目も三日目も、やはり必ず朝起きてみるとどこか噛まれています。そして噛まれ跡がついてから数日たってかゆみが本格化するようで、そのかゆみは尋常ではありません。しかも噛まれていない周囲にもかゆみが広がっていきます。かゆみのピークが過ぎても固い水ぶくのような跡が残ります。

   被害はふくらはぎの後側(くるぶしの上)が最もひどく、一週間後には日中もかゆみでいてもたってもいられないほどになりました。殺虫剤を買ってきて寝室にまき散らしましたが効果はないようです。かゆみがアレルギー症状を引き起こすと心臓にもかなり負担がかかるのではないかと思うと、怖くてベッドには眠れません。仕方がないのでリビングルームに避難し、床の上で日本から持ってきた寝袋で寝ることにしました。せっかくロンドンの高級住宅街に住んでいるのに、寝袋生活とは・・・。

 さすがにこれはただ事ではないので、インターネットなどで調べてみると「他の場所にもかゆみが転移する」というのは南京虫(Bed Bugs)の症状だということです。まさかイギリスで南京虫に遭遇するとは思わなかったのですが、実はロンドンの低所得地域には南京虫が結構はやっているらしいことがわかり、不動産屋さんに連絡しました。

  この段階ではまだ南京虫かどうか確証はなかったのですが、不動産屋さんは害虫対策(pest control)の業者を派遣してくれました。これが8月14日の土曜日。薬をまくので留守にしていてくれと言われ、帰ってみると主寝室と副寝室に白い薬の噴霧あとがたっぷり。「もう大丈夫」との言葉を信用して、久しぶりにダブルベッドに寝てみました。翌朝・・・・・5カ所噛まれていました。私が寝袋に避難していた二週間飢えていた南京虫の餌食になったのです。

  再び不動産屋さんに連絡して翌週も来てもらうことに。寝袋生活はさらに一週間延長です。8月21日土曜日、朝一番でペストコントロールのマークさんが来ました。彼曰く「先週は南京虫の痕跡を発見できなかった。本当に南京虫かどうかわからない」。しかし私の症状を説明して、噛まれあとを見せると「それは南京虫に違いない。でも一匹だけかもしれない」。私にとっては一匹でも十分なのですが。

 今回はマークさんの作業中私はリビングで本を読んでいました。すると、マークさんがまずベッドに糞を発見。糞を見てわかるのだからさすがプロですね。そのあと先週の噴霧で撃退されて死骸を2匹発見して、南京虫であったことが立証されました。南京虫の実物を見たのはもしかすると初めてかもしれません。イエメン駐在時代には、地方に出かけるとかなりの確率で南京虫はいるので、いつも万全の備えをしていましたから。

 マークさんによると、1666年のロンドン大火(great fire)までは南京虫はたくさんいたが、それ以来なりを潜めていた。しかし最近では1970年代に少し復活し、1990年代から本格的に流行し始めているので、彼の仕事は大忙しだそうです。それは地球が狭く(人に往来が簡単にできるように)なって、途上国からの旅行者が持ち込むからだろうと言うのが、彼の説です。ロンドン中どこにでもいるが特に安宿が多い地区、学生が多い地区には流行しがちとのこと。

  噴霧を終えたマークさんは「これでもさらに噛まれるようならまた来週来るけど、通常は二回の噴霧で終息する」とのこと。その言葉通り、我が家の南京虫は撃退されたようで、それ以来被害には遭っていません。こうして安眠できるようになった時にはすでに入居して一ヶ月が経っていました。

 翌日ロンドンの地下鉄(underground)に乗っていると、車内広告に目が留まりました。殺虫剤の宣伝で「London has Bed Bugs !」。ロンドン暮らし最初の洗礼が南京虫であったのは、まあ、必然だったのかもしれません。そしてちょうどこの頃、ニューヨークの高級ホテルで南京虫が発生し、ホテルが客に巨額の賠償金を支払ったというニュースをやっていました。ロンドンで流行ればあっという間にニューヨークでもはやるのです。おそるべし、空飛ぶ南京虫 Flying Bed Bugs。【2011/5/22】

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satokan
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