【もし今漱石がロンドンにいたら・5】《Cosplay》
ロンドンのシティ(昔市壁に囲まれていた1マイル四方のロンドン旧市街。金融街として有名ですね)に、「バービカン」という名の複合文化施設があります。シティの正式名称はCity of Londonで、ロンドン首都圏の一部ですが、他の32行政区とは別格の扱いで独自の警察も持っているほど独自性が強く、バービカンもシティが運営していて、隣接する公営高層住宅もやはり管轄しています。
このバービカンには大劇場、小劇場、シネマが複数ありいつも何らかのイベントが行われています。昨年(2010年)の秋、ロンドン地下鉄に乗るたびに「バービカン」というカタカナと、日の丸をあしらった服を着ている女性のポスターがあちこちの駅のエスカレーターに貼られているのを見て、私は初めてバービカンの存在を知り、同時に2月まで「日本のファッション」という展覧会が開催されていることに気づきました。
「イギリスで日本を考える」ことをテーマにしている以上、これは行ってみなければ、と11月6日の土曜日に行ってみました。その日は谷崎潤一郎の『春琴抄』を下敷きにした芝居が上演されることになっていたのでそれを観に行ったのですが、それ以外にも「日本の受け取られ方」についての多くの発見がありました(春琴抄の芝居の話は別の機会にします)。
まず、バービカンの入り口を入ると、日本のマンガ本を売っている屋台が出ていました。その隣には古い着物を売っている屋台、そして日本的なアンティークを売っている人もいました。これらのマンガは明らかに日本のものですが、台詞はすべて英訳されているのです。面白いことに、会場の説明書きには「anime and manga」となっていました。おそらくアニメは動画、マンガは紙媒体を指すのでしょう。いずれにしても、マンガはすでに英語になっています。この事実、漱石は目を丸くすることでしょう。
そして、会場には日本の歌謡曲(J-popというのですね)が大音響で流れていて、吹き抜けになっている地下のイベントスペースでは「コスプレ」(cosplay)イベントがまさに進行中でした。私は一瞬何が何だかわかりませんでした。このロンドンのど真ん中にまるで渋谷か原宿のような格好の女の子たちがぞろぞろいるのです。コスプレを紹介するために、わざわざ日本から女の子たちを招いたのかと思ったのですがどうやらそうではないようです。
このイベントのタイトルは「Barbican Cosplay Extravaganza」。日本語にするなら「豪華絢爛バービカン・コスプレ大会」でしょうか。午後6時から夜中の1時までのイベントだったようです。私が着いたのは7時過ぎだったのですが、それぞれのコスプレ(アニメや漫画の登場人物をまねした奇抜、あるいはカワイイ服)を身にまとった女の子たちがJ-pop音楽に乗って舞台に登場し、ファッションショーのキャットウォークよろしく一回りして行くのです。基本的にこれらは「素人」です。
このコスプレ・ギャルたち、半分くらいは明らかに日本人なのですが、残り半分はれっきとしたイギリス人のようです。これには、私はかなり驚きました。漱石なら卒倒したかもしれません。たしかにここ数年、フランスあたりではコスプレ文化が広まっているという報道も目にしたことはありました。しかし、この目で金髪女性によるコスプレを見るまでは、このことの意味を深く考えてみたことはありませんでした。
フランスの風刺画家ジョルジュ・ビゴーが文明開化の日本を素描したのは1880~1890年代が中心で、漱石の渡英(1900年)の一年前にフランスに帰国していますが、私の好きな絵に彼の鹿鳴館シリーズがあります。その中に慣れない窮屈な洋服と靴に身を包み、西洋ダンスを踊ったあげく、くたびれ果てて控え室で靴を脱いで座っている当時の華族の女性たちの絵があります。19世紀、まだ洋服は日本の女性の日常着ではありませんでした。日本の女性が洋服を着ることは、漱石にとっては「外発的な開化」「上滑りの開化」の滑稽な一コマと認識されていたのではないでしょうか。
それから110年。コスプレは近未来衣装とはいえ、基本的には西洋起源の洋服がベースです。その洋服を日本人が日本人のセンスで改造し、工夫して「美しさ」「かわいさ」を表現する媒体に仕上げました。そして、今それが西洋に逆流しているのです。もちろん、漱石が日本のコスプレのようなサブカルチャーをどのような評価するかはわかりませんが、少なくとも「洋服」に慣れ親しんで日常着にし、その上で当の西洋が考えもしなかった着方を開発してきたことは、「外発的開化の内発的発展」と言えるように思います。
「上滑りも徹底すれば自分のものになる」と言ったら、漱石はなんと返答するでしょうか。【2011/6/19】
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