【もし今漱石がロンドンにいたら・12】《地震とチャリティー》
漱石の留学当時は蝶々夫人のような悲劇も多かったかもしれませんが、それから100年、すでに多くの日本人と欧米人のカップルが誕生しています。イギリスにもそうしたカップルがたくさんいて、夫が日本人のパターンも妻が日本人のパターンもあります。ただ、妻が日本人の場合は基本的にイギリスに住居を構えて住み続けることが多いようです。そのことを私は東日本震災後に認識しました。
3月11日の震災直後から、ロンドンでも日本人学生が中心になって募金活動を開始し、津波の被害の大きさが報道されるにつれて、日本関係者が様々なチャリティーイベントを行って被害者に対する支援金を集める動きが活性化し、イギリス人もとても親身に心配してくれて多くの義捐金も集まったようです。
3月22日にはロンドン大学(University College of London)でチャリティー緊急集会があり、東北大学の人たちが震災の被害を報告するとともに、研究上の協力を訴えていました。その集会の冒頭に東北大学の先生が日英の交流史をおさらいしたのですが、幕末の長州ファイブ(1863年-伊藤博文,井上馨,遠藤謹助、山尾庸三、井上勝)も、陸奥宗光(1884-1886)、夏目漱石(1900-02)もみんなロンドン大学で勉強しました、というイントロだったのが興味深かったです。
さて、震災から一ヶ月ほどたった4月10日にロンドンの南、海岸近くのチチェスターという小さな町で、チャリティー映画祭が開催されました。この町には公営映画館があって定期的に名画を上映しているのですが、この日は村上春樹原作の『ノルウェーの森』を上映し、入場料(7.5ポンド=1000円程度)は義援金に回り、それ以外に武道の演舞もあるというので出かけてみました。会場に着くと浴衣姿の女性たちが手作りのり弁当、ビール(アサヒスーパードライ)、梅酒(チョーヤ)、日本茶なども売っていてこれらも全額支援になるとのこと。ビールと梅酒はメーカーからの寄付なのでしょう。もちろん募金箱もあって募金をすると和紙に「ありがとう」と書いたしおりをくれました。もちろん、彼女らの手作りでしょう。
ロンドンやブライトンにはいくつも大学があり、若い日本人女性も数多く留学していますが、話を聞くと今日の浴衣姿の女性たち12人は、全員イギリス人と結婚して地元チチェスターに住んでいる人とその娘たちでした。私が日本人とみて隣町に住んでいるという日本人男性が声をかけてくれました。「ここで日本人男性を見るのは珍しいので」と。一瞬、言われていることの意味がわかりませんでした。女性が10人以上いるなら、同じくらい日本人男性もいるのではないかと考えたからです。
でも、そうではないのですね。田舎町に日本人男性がいることはまずないのです。演舞も合気道はアフリカ系の師範とイギリス人の素人さん、剣道はイギリス人の師範と日本人の顔をした少年の型。この少年は日本語はあまり話せないようでした。これが、田舎町で「日本的なもの」のすべてです。漱石は、これをどう思うでしょうか。
1900年、 ロンドンでさえ普通の人には日本など意識の外で、イギリス人の日常生活に日本は影も形もありませんでした。2011年のチチェスター。ローマ時代からのカテドラルのあるこの古い町でもスシは売られているし、若者はマンガを知っているし、日産やトヨタの車は普通に走っています。ここのコミュニティーホールには「道場」さえあるのです。もちろんアサヒビール(イギリスのブルワリーで委託生産しているのです)が飲めるパブもあります。本物の日本人も10人くらい住んでいて、日本で地震があれば、みんなチャリティーイベントに集まってきます。日常の中に日本は織り込まれているのです。
本件、漱石とチチェスターのパブでスーパードライを飲みながら意見交換してみたいですね。
【2011/7/12】
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