【ブライトン特急・42】《Quay》

         イギリスは海洋国家です。でも、地図を見てもどこが港町なのかすぐにはわかりません。日本人的な感覚では港町は海岸沿いにあるはずで、日本なら横浜、神戸、長崎、函館・・とすぐにいくつも思い浮かびます。ところがブリテン島の沿岸にはリバプールと軍港ポーツマス以外にはあまり有名な港町は見当たりません。ブライトンも海岸の町でヨットハーバーはありますが船乗りが闊歩するいわゆる港町ではありません。

         なぜかというとイギリスの主な港町は河沿いに位置しているからです。ロンドンも立派な港町ですし、リバプールが隆盛するまではブリストルがイングランドの主要港でした。どちらも内陸深く入り込んだところに位置している河港なのです。夏目漱石が二年間の留学を終えて日本郵船の「博多丸」に乗船したのはロンドンのアルバート埠頭からだったし、有名な「ドリトル先生」シリーズで、ドリトル先生がアフリカに出帆する港はブリストルがモデルだと言われています。

         港には船の停泊施設が必要です。特に産業革命以後船が大型化すると、そのための頑丈で機能的な桟橋が必要になります。海の場合はブライトン・ピアのように海岸に垂直につきだした桟橋(Pier)が作られますが、河岸の場合はそれでは他の船の通行を邪魔していまいます。そこで河岸に平行に停泊させる埠頭(Quay:キーと発音します)が一般的となり、ブリストルもロンドンも基本的にはすべてこのタイプの桟橋です。

         東ロンドン(テムズ川の下流に当たります)の通勤電車ドッグランド・ライト・レイルウェイ(DLR)にもウェスト・インディア・キーという駅があり、駅前は船溜まり(Dock)になっています。かつてここから西インド諸島(カリブ海ですね)に船が出帆したのでしょうか。DLRでさらに東に行くとロイヤル・ビクトリア駅があり、この駅前のドック(ロイヤル・ビクトリア・ドック)にアルバート埠頭があったのです。ここがロンドンの玄関口だったわけですね。

         イギリスは平坦な地形なので国内の物流に海運が多く利用されたことも、こうした河港の発達を促したのでしょう。イギリスは馬の国であると同時に平底船(punt)の国でもあるのです。そして自然河川を利用するばかりではなく、産業革命初期にはリバプール・マンチェスター間の増大する物流を支えるために数多くの運河が掘削されています。その延長線上にリバプール・マンチェスター鉄道が計画されたのです。

         興味深いのは、こうした運河・鉄道開発はすべて民間資金でまかなわれていることです。地元の資産家・実業家が計画し、周囲の人に出資金を募ってお金を集め、地元の議会に掛け合って承認されれば着工出来るのです。アジアとの交易のために出資金を募って船を借り上げ、無事に帰ってきたら収益を山分けするというのと同一の手法ですね。失敗することもありますが、成功すれば大もうけできます。特に鉄道(最初の商業機関車鉄道は1830年)の場合は世界で誰もやったことのない事業に取り組んだわけですから、こうしたリスクはつきものですね。イギリスの技術革新はこうした民間主導のものがほとんどです。

        それから40年後に鉄道を導入した日本が国家プロジェクトとして取りくんだのは、すでに成功例があったと同時に、民間資本では取りかかれない規模の事業だったからです。途上国の開発問題を考えるときに、この「先駆者」と「追跡者」の戦略の違いは重要です。イギリスは先駆者であることが得意なのに対して、日本は追跡者としての手腕を発揮してきました。

        途上国開発は基本的に「追跡者」戦略が基本なのですから、こうした経緯を踏まえれば日本が開発研究をリードしても良さそうなものですが、どういうわけか開発研究でもイギリスは「先駆者」です。もっとも、イギリスは「植民地支配」でも先駆者でしたから、開発が植民地支配の延長線上にあるというなら、これも納得できますけれど。【2011/7/1】

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