【ブライトン特急・41】《Pint》

         イギリスで暮らす限りパブ(Pub)に関するネタは無限にあり得ます。日本に置き換えると、居酒屋、バー、立ち飲みなどの混合形といえますし、呼び方もPublic House, Free House, Coffee Houseなど様々ですが、人々は明らかに一つのカテゴリーとして「パブ」をとらえています。

         サーブされるものがお酒中心である点でいわゆるカフェと異なりますし、料理はあくまで「つまみ」の位置づけである点でレストランとも異なります。外見にも特徴があり、多くの場合は表通りの角などの一等地に昔ながらの店を構え、全体に黒塗りで擦りガラス、歩道につきだした絵入りの看板が屋根から掲げてあって、夏であれば二階の窓から色とりどりの花の入った箱鉢(hanging flower)がぶら下がっています。そして何よりも特徴的なのは、バーカウンターにビールの蛇口が並んでいて、そこからグラスに注いでくれるところでしょう。つまり、量り売りです。

         このグラスの容量は全国共通でパイント(pint)です。そして店の人がインチキをしないようにすべてのパブのグラスには「ここまでで一パイント」のラインがプリントされています。イギリスの一パイントは568ml、日本の標準的な缶ビールは350mlで、ロング缶が500mlですから、それよりも多いことになります。これでは飲みきれないという人のためにハーフ・パイントのグラスも用意されています。このパイントの単位は、1698年以来300年以上変わらず用いられているそうです。こういうところ、イギリス人は頑固ですね。

         パブの原則は「セルフサービス・先払い」です。ウェイター・ウェイトレスはいないので、店に入ったらカウンターに直行してお酒を注文して受け取り、空いた席に陣取ります。フィシュアンド・チップスなどの料理を頼むと番号札をくれるので、それをテーブルに置いておけば料理が出来次第持ってきてくれます。

         とはいえ慣れないうちは注文が難関です。言葉もなかなか通じない上に、混んでいる時間帯に店に入ると、カウンターに長蛇の列ということも珍しくないので、なかなか注文のタイミングがつかめません。しかし、ここでいらいらして大声で注文したりするのは「野暮」というもの。バー・カウンターの原則は「先着順受付(First come, First served)」です。ベテランの店員になると、どんなに忙しく立ち働いていても目の端で客の動きを把握し、先着順に注文を聞いていくといわれています。もちろんそんな職人技のベテランばかりではありません。しかし一応客の方もこの原則を共有していて、自分より前にいた人が誰で、自分よりあとから来たのが誰かはチェックしており、バーテンダーが「お次の方はどなた(Who’s next?)」と聞いたときに、自分の番だと思えば注文するのです。

         また、客の作法としては「かわりばんこにおごりあい」というのがあるようです。複数で飲みに行っているときに、各自が銘々に注文するのではカウンターが混み合いますし、個別に払うと会計処理にも手間がかかります。このため、誰かがまとめて注文して払い、次のラウンドは別の人が払う方がスムースだという知恵でしょう。

         すでにお話ししたとおり、イギリスではパブも含めて2007年7月に店内全面禁煙になったので、喫煙者は冬でもコートを着たまま外で飲まなければなりません。そして夏になると、明るい外の方が気持ちが良いので非喫煙者もパブの外で立ち飲みすることになります。日が長くなって天気が良い金曜日など、午後5時を過ぎた頃には角々のパブの外はそれこそ鈴なりの人だかりです。

         ロンドンシティの中心部に、14世紀以来生肉市場だったというレドンホール・マーケット(Leadenhall Market)があります。ここは十字路のアーケード街で、今では肉屋、鶏屋に変わっておしゃれなブティックのならぶショッピングエリアになっており、ハリーポッターのロケにも使われたそうですが、このアーケードの入り口にも何軒かパブがあります。

         ある天気の良い初夏の夜9時、ここを通り過ぎるとパブからはみ出した人々(金融街シティの真ん中なのでおしゃれなスーツを着こなした若い男女が目立ちました)がアーケードの通路を埋め尽くしておしゃべりでさんざめいていました。アーケードなので屋根はありますが、一応屋外と見なされるようで喫煙できるし、石畳の道路には車は入ってこないしということで、立ち飲みには絶好のロケーションなのです。アーケードの奥のレストランに行くためにこの人混みを通り抜けたのですが、日本の通勤時間帯の駅のような混雑で、おまけに足下の石畳の上には飲み干したグラスがおいてあるというありさま。イギリス人のパブ好きを実感できました。

         ただ、アルコールの社会的弊害はしきりに喧伝されており、国民的な酒量を減らすためにオーストラリアにならってパイントの量を3分の2に減らしてはどうかという議論や、老人の過度の飲酒が問題なのでパブで飲ませるのは1日2杯までに制限するべきだという議論もあるようです。そもそも、従来からパブの営業時間に対する規制は非常に厳格で勝手に延長すると営業免許を取り上げられたりするようです。

        しかし、パブは単なる酒屋ではなく、地方に行くと地元の人々がビリヤードをしたり、トランプに興じていたりする姿を目にします。つまり、コミュニティーホールの役割も担っているのですね。だからこそ、Public Houseと呼ばれるのでしょう。【2011/6/30】

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