社会課題解決型ビジネスの来歴

社会課題解決のしくみ

貧困削減や、環境保全、社会的弱者の救済や、障がい者の社会参画支援など、世の中には解決することが望ましい、様々な「社会課題」があります。

環境汚染は18世紀中葉にはじまる産業革命を契機に人類社会に初めて登場した課題ですが(これが、産業革命以降の近代を「人新世(ひとしんせい・アントロポセン)」と呼ぶ一つの根拠になっていますね)、それ以外の社会課題は、人類社会始まって以来常に存在していたものの、多くの場合はコミュニティの内部での「助け合い」で折り合いをつけてきました。

しかし、近代資本主義社会の拡大とともに、こうした社会的課題は増殖していき、影響を受ける人の人数も増えてコミュニティのレベルでは解決が困難な規模に膨らんでいく傾向にあります。そこで、近代に入ってからはコミュニティよりも大きな規模で、篤志家・慈善家がこうした社会課題の解決に取り組み始め、20世紀に入ってからは国家がその責任の一端を担うことが期待されるようになりました(福祉国家)。

一国内の社会課題の解決には、その国家が一義的な責任を持つとしても、南北問題のような国際的な不平等の解決には一国だけで立ち向かうことはできません。また、財政力、統治力が不十分な「途上国」にとっては、自国内の貧困削減さえ荷が重すぎることがままあります。そこで、先進国が途上国を支援する「国際開発」という、地球規模の社会課題解決方法も20世紀後半以降(第二次世界大戦後)に始まりました。国際開発では、先進国が直接途上国を支援する場合(例えば旧宗主国が旧植民地を支援するような)もあれば、国連のような国際機関が加盟国から集めた資金を用いて支援する場合もあります。また、国内の篤志家・慈善家は「国際NGO」という形に進化していき、国境を越えてた国際開発として弱者を支援する仕組みも整えられました。

このような、外部アクターによる社会課題解決はODA(公的開発援助)と国際NGOなどによるチャリティ的援助がもっぱら担う、というのが20世紀の常識でした。

国連とビジネス界の協力

20世紀後半の東西冷戦時代には、資本主義陣営と社会主義陣営が、それぞれ途上国に影響力を及ぼすべく「援助競争」をしてくれたおかげで、途上国に流れるODAは一定の水準を維持していた。しかし1990年の東西冷戦終結で「援助競争」は終結。伝統的なチャリティー源であった欧米でも「援助疲れ」が出て、途上国に流れるODA資金、チャリティー資金が減り始めます。

そんな中で国連は21世紀を迎えるにあたり「ミレニアム(千年紀)開発目標=MDGs」に合意(2000年秋)し、途上国の貧困削減にはもっと多くの資金が必要だ!というキャンペーンを始めます(このキャンペーンの先頭に立ったのがジェフリー・サックス教授と、ビルゲイツ財団、そしてロックミュージシャンのボノでしたね)。でも、そのお金はどこから調達してくるのか?公的セクター、チャリティーセクターはこれ以上急激に増えそうもないのに・・・。

もっとも、2001年に9・11同時多発攻撃が起こると、ODAに興味を失っていたアメリカ合衆国が「テロとの戦い」という名目でODAを急拡大し、日本が1990年代に維持してきた「世界一のODA大国」の地位をあっという間に奪還します。まあ、日本のODA額は1997年をピークに年々減っていたので陥落は時間の問題だったのですが。

「テロとの戦い」があったとしても、世界のODA総額はそれほど増えそうもない中、国連が「貧困削減」戦線の同盟者として期待の目を向けたのが「民間企業」のお金でした。とはいえ、民間企業は慈善団体ではないのでMDGsで国連が「貧困削減」を唱えようと、自分の利益にならないことなら知ったことではありません。そこで当時のコフィ・アナン国連事務総長がとったのがビジネスを「その気させる」戦術でした。

MDGsがスタートする前、1999年のダボス会議(世界経済フォーラム・WEF=これは本来完全にプライベートなビジネスマンの集まりです)で、アナン氏は世界的な大企業に向けて「あなた方は、国際社会の良きメンバーとして率先垂範するべきではないか?」と問いかけたのです。これに応えて、WEFに集う「優良」「有力」「支配的」な企業は、MDGsがスタートする前年2000年に国連と共に「国連グローバル・コンパクト」を締結、これに署名する企業は「人権」「労働」「環境」といった社会課題に積極的に取り組むことを誓ったのです。その後2004年には「腐敗防止」も加わり4分野、10原則がGCの柱となりました。日本の企業も2003年に「グローバルコンパクト・ネットワーク・ジャパン(GCNJ)」を設立しています。

開発とビジネスの相互接近

当初はどちらかというとMDGs時代の「ノブレスオブリ―ジ(恵まれたものの弱者支援義務)」のような雰囲気でしたが、2008年のリーマンショックなど、市場経済、株主至上主義の「グローバル資本主義」に対する批判が高まってくると、ビジネスの世界に「倫理性」「利他性」を求める動きが本格化します。その一つの例が2011年に起きた「ウォールストリート占拠(Ocupy Wall Street)運動」でした(サラ・ヴァン・ゲルダ―他『99%の反乱』バジリコ社 2012)。

ウォールストリート占拠運動には、それまでに積みあがった伏線がありました。1999年の8月、フランスのラルザック地方の農民が、アメリカが自分たちの産品(ロックフォールチーズ)に制裁関税を課したことに抗議して「マクドナルド破壊」事件を起こしました。そして同じ年の12月には、第三回WTO(世界貿易機関)閣僚会議に合わせて、新自由主義主導のグローバリゼーションに反対する勢力が世界中からシアトルに集まり、大規模デモを組織してた結果WTO会議が機能しないという事態も起きていました。シアトルには、8月のマクドナルド事件のリーダー、ジョゼ・ボヴェもフランスからやってきていました(ジョゼ・ボヴェ他『地球は売り物じゃない』紀伊国屋書店2001)。つまり、特に欧米の多国籍企業には、世界的な批判の目が注がれ始めていたのです。

一方、これと並行するようにアメリカの経営学者の中に「企業の長期的な成長のためには、貧困層を顧客とし、彼らの社会課題解決を図りつつ市場を拡大する」ことの重要性を訴える流れが大きくなりました。その嚆矢となったのがミシガン大学のプラハラード教授の『BOPビジネス』の提唱です(C・K・プラハラード『ネクスト・マーケット(増補改訂版)』2010英治出版 原著はPrahalad “The Fortune at the Bottom of The Pyramid” 2004)。その主張の眼目は「これまで先進国企業は、世界人口の七割を占める途上国の経済ピラミッドの底辺層(Base of the Pyramid)を、自分たちの顧客ではないと見なしていたが、彼らは巨大な潜在的市場である」というものです。そして、彼らにアプローチする際には、これまでのようなビジネスモデルではダメで、人々の生活の困難(BOPペナルティ)を解決する働きかけが伴わなければ成功しない、というものでした。

開発とビジネスの結婚

社会課題解決はそれまで、ODAが孤軍奮闘していた部分でしたから、アナン氏率いる国連諸機関はこのチャンスを逃すまいと、民間企業にラブコールを送り始めます。「一緒に貧困削減に取り組みましょう」「栄養改善に取り組みましょう」「住居改善に取り組みましょう」「雇用創出に取り組みましょう」…。そして様々な補助金、インセンティブパッケージを提供するようになったのです。例えばUNDP(国連開発機関)のビジネスコールtoアクション、国際金融公社(IFC)の特別融資などです。また二国間の開発援助機関も同様で、米国のUSAID、英国のDfID、そして日本ではJICAが途上国でのBOPビジネスの事業資金を直接支援する制度を開始しました。

JICAが「BOPビジネス支援制度」を開始した2009年は、日本では「BOP元年」とも呼ばれた年で、JETRO(日本貿易振興機構)も経産省に背中を押されてBOP支援のための部局を作りました(私がその仕事を担当することになったのですが)。ジェトロはどちらかというと日本企業の途上国進出の後押しに主眼がありましたが、同時に途上国の社会課題解決にも寄与する、という意味で「社会課題解決型ビジネス」という言葉を使っていました。これらの動きは、開発業界とビジネス世界の「結婚」を斡旋するようなものですね。

このようなODA+ビジネスの結婚は、実際いくつかのサクセス・ストーリーを産みました。
その代表例は、過去20年間のアフリカの急激な変化のきっかけとなった、携帯電話を用いたサービスでした。それは英国のDfIDの補助金でvodafon社がケニアで取り組んだ送金サービス、m-pesaです。m-pesaは大ヒットし、現在では携帯電話を使った送金サービスはアフリカ中に浸透しており、都市に出稼ぎに行った人たちが、田舎の両親や家族に送金できることで、農村での生活改善に大きく貢献しています。貧困者が多い不確実な市場に新サービスを投入するのは、一般企業にとってハードルが高いものです。そんな時「社会課題の解決」という大義名分があれば、通常のビジネスでは調達できないODA資金を投入して製品開発を行うことができます。その仕組みを利用してm-pesaというビジネスモデルが市場に投入され、受け入れられたことで携帯電話が売れ、使用料金収入から企業は収益をあげます。そしてこのサービスを使うことで「安全かつ、安い手数料で」送金ができるようになれば、アフリカの人々の生活向上に寄与する結果となります。つまり開発の側(DfID)も、企業(vodafon)も、そして貧困層の人々も裨益する=win/win/win状況が誕生する、という事例ですね。

これは幸せな結婚の例ですが、先進国のような制度的、物理的インフラが整っていないことが多い途上国のビジネス環境では、新規に取り組む事業がすべてうまくいくというわけにいかないのは当然です。

社会課題解決型ビジネス、BOPビジネス支援の補助金は、現在も形を変え、名前を変えて継続しています。開発社会学の観点からは、この補助金制度を利用して、特に日本企業がどのような社会課題解決に取り組んでいるのか、その事例を収集し、成功/失敗要因を検討することは非常に興味深いテーマです。

さとかん【開発とビジネス 2021/8/21】

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