【ブライトン特急・49】《Xmas lights》

         日本語にすっかりなじんだカタカナ英語の意味をこちらに来て再発見することが時折あります。クリスマス前の商戦期に見かける”Xmas sale”もその一つです。このXはギリシャ語でキリストを意味する言葉の頭文字χ(カイ)から来ているのだそうです。そして、masはミサ、祝祭などを意味するMassだったのです。

         さて、こちらでも(というよりはこちらが本場ですが)クリスマス前になると町中にクリスマス用の飾り付けが始まります。商業施設はもちろんですが、表通りにも様々なライティングが登場します。こうした公共空間の飾り付けも実はカウンシル(council)の仕事なのです。昨年(2010年)の12月初旬「チチェスターのカウンシルは予算削減のあおりを受けて今年のクリスマスの飾り付け(Xmas Lighting)を断念した」というニュースが流れていました。レポーターが飾り付けのないチチェスターのハイストリートでがっかりしている市民の声を伝えていました。

         珍しい出来事なのでニュースになったのですが、今後は他の町でもこうした事態が発生するのではないかという懸念が表明されていました。支出削減はこんなところで人々に影響を与えます。どうやら飾りや電球自体はカウンシルの所有物があるのですが、取り付け費、電気代などのコストが賄えないので今年は「お蔵入り」と言うことのようです。「民間セクターにもお願いしたけれど、30万円が捻出できなかった」というカウンシルのコメントが出ていました。

         日本ならデパートの飾り付けはデパートがやるし、商店街の飾り付けは加盟商店が負担するでしょう。市役所が町中のクリスマス飾りの負担をすることは考えにくいですね。しかし、こうしたところでイギリスが「キリスト教徒の国」であることを再確認させられます。キリスト教徒の最大のお祭りを公費で負担することは当然なのです。改めて見ると、国旗(Union Jack)はイングランドとウェールズとアイルランドのそれぞれの十字架を組み合わせたものですし、ロンドン市(city of London)の紋章も十字架が中心です。

         東日本大震災の直後にも、この国が根っからキリスト教徒の国であることに気づかされることがありました。こちらの人は、世界のどこかで自然災害が発生したというニュースを見ると「かわいそうだ、何かしてあげなければ」と思うようで、条件反射的に「そうだ、お金を届けよう」ということになります。町の中心の広場や、駅前でバケツを片手に持って上下にじゃらじゃら振りながら募金を集める人の姿は日常的です。こうした募金行為はチャリティー(charity)と呼ばれますが、その目的が何であれバケツにお金を入れる人はかなりいます。

         今回の震災では、イギリス中の人が津波の映像に圧倒されて「何かしたい」という気持ちが高まり、我々が日本人とみると「募金したいいんだが、お金を受け取ってくれるか」と町なかで声をかけてくる人さえいました。募金をしたくてしかたがないのです。サセックス大学で日本人留学生たちが募金をしたときにも多くの人たちがバケツに募金をしてくれました。そして、地元の教会からも募金の申し込出があったそうです。善男善女が日本の震災に心を痛めて日曜日のミサに募金を持ち寄ったのでしょう(日本人が募金依頼に行ったわけではないと思います)。さてどうやって日本の被災者に届けようかと考えたときに、サセックス大学の日本人学生が募金をしているというニュースを聞きつけたのでしょう。

         しかし結果としてこの教会のお金は日本人留学生には託されませんでした。教会は直接英国赤十字(British Red Cross)に募金し、それが日本赤十字に送られたのです。日本人留学生の募金も日本赤十字に行ったので、どちらを窓口にしても良いように思いますが、そうではないのです。英国赤十字は、政府に「チャリティー団体」登録をしている組織なので、ここに募金をすると税金控除の対象になりますが、日本人留学生たちの方はにわか作りの団体でチャリティー団体登録などしていませんから、日本人に直接お金を渡すと税金分を損してしまうのです。

         なんだか変な気持ちはしますね。もし「日本人を助けたい」と思うならそのお金も日本人の手に託した方が自然な気がしますが、制度がそれを阻むのです。というよりも教会がチャリティーの窓口となることが前提となっている制度なのです。実は、サセックス大学の開発研究所(IDS)も、このチャリティー団体登録をしています。ですから、IDSも募金を受け入れられるのですが、日本では研究所が「チャリティー団体」登録をするという発想はないですね。

         いずれにせよ、この国ではキリスト教的博愛主義が人々の間に自然に存在しています。ただ、その博愛主義があくまでキリスト教的な倫理観、世界観に依拠しているところがやっかいなのです。2011年の「アラブの春」と呼ばれる一連のアラブ世界での民主化運動も、「民主化」と言うだけで無条件に支援の対象になります。オサマ・ビンラーデンはキリスト教徒を攻撃するので悪者です。サウジアラビアのイスラム法に違和感がある人たちにとっては、「サウジでは女性が車を運転できない」という報道が「抑圧されたかわいそうな女性たちを助けたい」という気持ちを刺激するのです。

         開発援助を巡ってもキリスト教的世界観が基礎にあります。キリスト教を背景にする国際NGO(ほとんどの欧米系NGOはそうです)、英国国教会の代表者たる女王を頂く政府、毎週でなくても時には教会に通う市民の間には、「世界の貧困者を救う」という目標に向けた共通のキリスト教的世界観があるのです。日本は、政府と国民とNGOの間に共有された価値観は明示的には存在しません。だからこそ、国民のODA支出に対する支援も得にくいのでしょう。これに対してイギリスでは、支出削減の荒波の中でODA予算だけは増加しているのです。

         とはいえ、アフリカに援助するくらいなら、国内の貧困者に食事を配給すべきだし、クリスマス飾りを維持するべきだという人ももちろんたくさんいるのですが。【2011/7/8】

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