【ブライトン特急・21】《Vegan》

         飛行機などに乗るときに事前予約で「ベジタリアンの方はあらかじめお申し出ください」という案内を見ても、普通の日本人はあんまりぴんと来ないですよね。日常的にベジタリアンに接する機会もあまり多くありませんし。しかし、イギリスでは結構ベジタリアンが多いことに驚きます。これは大英帝国の植民地にインドが含まれていたことと無関係ではないでしょう。植民地インドから将来の官僚候補がイギリスに留学して来たとき、彼らのためにちゃんとしたメニューを用意するのは宗主国としての義務でもあったでしょうから。

         しかし今ではインド人以外にもベジタリアンはたくさんいます。実際、ロンドンの普通のレストラン(ファストフードチェーンなどでも)には、必ずメニューにベジタリアンマークのついたものがあるのです。もちろん、ベジタリアン専用レストランもあります。ベジタリアンレストランというと何となく、質素なメニューしかないイメージですが、これがブライトンになると、おしゃれでポップな「ベジタリアンレストラン」がいくつもあって、ベジタリアンでない人も利用してかなり繁盛しています。そしてこうした店にはビーガン(Vegan)メニューまであるのです。

         ビーガンとは「完全菜食主義者」のことです。普通のベジタリアンは「殺生」を嫌うために肉は食べませんが、卵や乳製品はタンパク源として貴重なものとして食べます。これに対してビーガンはこれらも含めて「動物由来」のものすべてを拒否するのだそうです。かなり過激な「思想」と言えるでしょう。そうした極端な要求にも対応するメニューを用意している店がいくつもある、というところがさすがブライトンです。

         私が初めてビーガンに出会ったのは、半年ほど前。ある日、日本から来た友人と一緒に「多国籍企業の途上国での労働搾取」を批判しているロンドン拠点のNGOに聞き取り調査に行きました。このNGOは「プライマーク」(日本で言えばユニクロでしょうか)などの大手衣料品チェーンの旗艦店の前で「労働搾取反対」などのプラカードを掲げて示威行動をしたりするかなり左よりの団体です。

            彼らの事務所が入っているのはキングスクロス駅近くの雑居ビルで(東京の御徒町にもNGOのたくさん入っている雑居ビルがありますね)、一階は本屋さんですがこの本屋さんがまた筋金入りの左翼系本屋さんで、マルクスはもとより、毛沢東、チェ・ゲバラなど他の店ではなかなか手に入らなそうな本がずらりと並んでいます。そして地下はこのビルに入居している様々なNGOがミーティングなどに利用するスペースになっているという具合。

         このNGOの事務所は屋根裏にありましたが、荷物が雑然と積み上げてあって座る場所もないので、近くのパブで話をすることになりました。相手をしてくれたのはまだ20代の若者ジェイ君で、日中は仕事をして夕方だけボランティアで事務所に来ているということです。こうした若者たちが、イギリスの「反搾取運動」を支えているのですね。

         途上国の貧困問題、不平等問題に心を痛める若者が多いのは日本もイギリスも同じ。ただ、その気持ちを何らかの形で行動に移そうとする場合、イギリスの方が様々な選択肢に恵まれているということでしょう。一流大学を卒業して金融界に入り、そこでマイクロファイナンスの仕事に着手するという道もあれば、国際機関に入って政策レベルで影響力をふるうという道もあります。これに対してジェイのように、ストリートレベルで自分の気に入った活動するという方法もあるのです。

         さて、パブでしばらく話をしていると、ジェイの彼女が仕事を終えて合流してきました。27才、華奢な体つきのなかなかの美人さんで、今はロンドン郊外で薬物中毒者のカウンセラーをしているとのこと。薬物中毒はイギリスでは大きな社会問題です。彼女も労働搾取の話題に積極的に参入してきました、その熱心な話しぶりもさることながら私にとって印象的だったのが、小柄な顔に鼻ピアス、下唇にピアス、そしてもちろん耳にも大きなピアスというその出で立ちでした。そして、彼女がビーガンだったのです。

        私の友人は、欧米における反捕鯨運動や反マグロ漁獲運動にも関心があり、こうした話題にもなりました。鯨もマグロもビーガンにとっては「食べてはいけないもの」ですが、こうした反漁獲運動にコミットしている人の中にはかなりベジタリアン、ビーガンがいるのだと思います。ビーガンだからこうした運動に取り組む、というよりもこうした運動に取り組むプロセスでビーガンになる、というパターンではないでしょうか。これは、太りすぎを反省してベジタリアンになるという生理的な回路とは異なる、思想的・理念的回路です。

         いずれにせよ、私にとってのビーガンのイメージは彼女で固定してしまいました(実は、私はこの時初めてビーガンという言葉を知ったのです)。たぶん彼女はある意味典型的なビーガンなのだと思います。特に不自由なくイギリスの白人家庭に育ちながらも、現在の社会状況に対して不満、義憤を感じている。そして、自分も何らかの形で世の中の役に立ちたいけれど、主流派に組み入れられることは絶対拒否したい。それが、出で立ちやライフスタイルにおける自己主張につながるのでしょう。ジェイの所属するNGOの代表者がブライトンに住んでいるというのも、あながち偶然ではありません。ブライトンはそうした「変わり者」が住みやすい町ですから。

         ジェイの彼女は数ヶ月後に、あるNGOの仕事でタイに行くことになっていました。チェンマイを拠点に国境を超えてやってきたビルマ人難民の支援をする仕事だそうです。ジェイは彼女についてチェンマイに行くことにすると言っていましたので、今頃二人はチェンマイにいると思います。どんな生活をしているのでしょう。今でもビーガンを貫いているのでしょうか。いや、そもそもそんなこだわりを持つ必要がない環境なのかもしれませんね。

         ビーガン。私にとっては暴走する近代化の鏡のように思える現象です。【2011/6/10】 

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satokan
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