【もし今漱石がロンドンにいたら・2】《グローバルスシ》

         漱石がいた頃のロンドンには日本食レストランなど一軒もなかったと思います。漱石はほとんど出歩かなかったので、食事は下宿屋の大家さんの家族と一緒に、中流イギリス人家庭の料理(味音痴のイギリスですから、たぶんかなりまずかったのではないかと思いますが)を食べていたはずです。これも、漱石が鬱になった理由の一つではないでしょうか。でも、今のロンドンでは、いつでも日本食が食べられます。

         私がロンドンで日本食を食べたのは1985年、駐在中だった中東のイエメンから「食料調達」に来た時が最初でした。半乾燥のイスラム教国で「和食」に飢えていた私は、ロンドンの日本食屋を探して久しぶりのカツ丼に感激したものです。その当時ロンドンの日本食屋はまだ我々のような「在外赴任者・出張者」と日本人観光客向けのものでした。

         それから四半世紀。日本食の「健康」イメージ、「クールジャパン」との相乗効果もあり、ロンドンでも至る所に「スシ」「ベントー」の看板が目につきます。イギリスに限らず欧米では「スシ」は単なるエスニック・ブームではなく、日常的な外食文化の一部になりつつあると言っていいでしょう。ただし、こうした店で提供されるスシの中には日本人的には「とんでもない」ものも少なくありません。私はこれらを「なんちゃってスシ」と呼んでいますが、実はこれこそ、まさにスシのグローバル化した姿なのです。

         数年前からロンドンに本の買い出しに来るたびに気になっていたのが回転寿司の「ヨ!スシ」でした。このチェーンは最近ではロンドン市内の主なターミナル駅や空港のかなり目立つところ、主要観光地などには必ず出店しています。システムは日本と同じで、色違いの皿ごとに値段が決まっていて一皿1.7ポンド(約200円)が一番安いメニューです。日本の倍ですね。カッパ巻きや、トロなど日本風のものはもちろん、海外スシのネタとしておなじみアボカドもあれば、イギリスではトロ以上に人気のサーモン握りも流れてきます。

         ただ、魚のネタはそれほど多くはなく、天ぷらやローストビーフを載せたものも流れてきます。さらに小皿のチャーハン、焼きそば、どら焼き、大福も流れてくるし、注文すれば鴨うどんが食べられるのもなかなか魅力です。

         他方、繁華街でスターバックなどのコーヒーショップの並びによくあるのが明るいガラス張りのカフェ形式の「Wasabi」と「Itsu」です。ここでは日本のコンビニのスシ弁当のようなパック入りのにぎりや巻き寿司の詰め合わせがテイクアウト出来ると同時に、温かい焼きそば、チャーハン、ミソスープなどがテーブルで食べられます。

         さらに「セインズベリー」「テスコ」などの有力スーパーマーケットチェーンの大きめの店には、サンドイッチの隣にスシ弁当のコーナーがあります。なぜかこうした弁当には「えだまめ」 がつきものです。ただし、これらのスシの味は日本人としては「・・・・」で、特に安いにぎり寿司のご飯には閉口することがしばしばです。冷蔵ショーケースに入っていると冷たいうえにびちゃびちゃなので「ごはん」というイメージからは遠く隔たってしまいます。ある日本人は、回転寿司のローストビーフ握りを食べて、「シャリさえなければおいしいのに」と言いました。同感です。

         こうした、「なんちゃってスシ」を筆頭にイギリスでは日本食屋さんが結構はやっているのですが、食べに来ているのはほとんど日本人「ではない」のです。これが私には驚きでした。日本食屋に日本人が来なくて商売が成り立つのでしょうか。成り立つのです。だから「グローバル・スシ」なのです。

         日本食系チェーンではラーメンを主体とした「ワガママ」もイギリスの主な都市にあり、日本の大衆食堂のような大テーブルに相席しながらイギリス人があぶなっかしげながら箸を操っています。スシを含めてこうした「なんちゃって日本食」屋は、それでも「日本食」なので、価格帯は普通の大衆レストランよりは高めに設定されています。

         このため客層に学生は多くなく、白人の、少しインテリ系の人が中心的な顧客となっているように見受けられます。あるとき、ビクトリア駅構内(東京駅八重洲口に当たるでしょうか)の「ヨ!スシ」で食べていた私の隣で、かなりおめかししたキャリアウーマン風の女性が三皿ほどを積み上げて白ワインを片手に、iPodを聞きながらキンドルで本を読んでいました。そう、スシは「クール」に欠かせない道具なのです。

         欧米社会にはこうして「スシ」が浸透しつつあるのですが、もし今漱石がロンドンにいたら、「こんなものはスシではない」と癇癪を起こすでしょうか。私はそうではないと思います。日本だっていろいろな西洋のモノを姿を変えつつ受け入れたのです。それが漱石の言う「外発的な開化」であり、しゃくの種でした。それと同じことが西洋で起これば、漱石は「胸がすく」思いをしたのではないでしょうか。スシはもはや、日本人だけのものではありません。寿司がどのようにグローバル化し、変遷を遂げていくかを余裕をもって眺めるのも一興。漱石なら、そう考えるのではないでしょうか。

  【2011/6/11】 この文章は、『アジ研ワールドトレンド』2011年5月号掲載の拙稿を修正したものです。

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