開発社会学
1990年代日本は世界一の援助供与国でした。今世紀に入ってからは順位を落としていますがそれでも世界の主要援助国でいあることには変わりありません。しかし、開発援助の世界のロジックは第二次世界大戦後ずっと欧米の「開発学」に基づいて組み立てられています。日本は既に60年にわたる開発援助の供与実績があるのですから、われわれ自身の経験に基づいた「日本の開発学」を作り上げていくことが出来るのではないかと考えています。 そのための道のりは長いのですが、大学の卒業論文に「開発社会学序説」という大それたタイトルをつけてから40年、そろそろ「序説」から「本論」に着手したいものです。
援助研究
アジア経済研究所で「援助研究」を旗揚げした1992年当時、援助は「するもの」であって「研究対象」ではないと考えられていました。週刊誌に夜ODA批判が高まる一方、日本は世界一のODA大国になり、援助プロジェクトは急激に増えていました。多くの開発専門家、ボランティアはそれぞれの想いで現場て奮闘してましたが、失敗や成功を共有する仕組みがないためにみんなが同じような問題に悩み、似たような失敗を繰り返していたのです。そこで、援助プロジェクト自体をフィールドとして半歩下がった立場から観察し、それを現場にフィードバックすること、「実務と研究を結ぶ」ことを目指した援助研究を始めたのです。
援助の現場のリアリティを共有する場としての「開発援助と人類学(開人)勉強会」とアジ研の援助研究シリーズを並行して進め、国際開発学会でも援助研究の仲間を増やしてきました。援助研究では、現地の人の声に耳を傾けることは比較的簡単ですが、寄れよりも援助をする側の技術者、医師、行政官、そして経済学者と建設的な対話をすることの方が大変なこともあります。援助研究をを志す社会学者・人類学者には時にカメレオンのような自己装飾と、コウモリのような身のこなしが求められるのです。
セネガルでの農村調査